【当ブログの説明】

こちらは、かつてPosterousというミニブログサービス上で運営されていた「ほぼ日刊ひろさの」及び「煩悩の赴くままに」というコンテンツを再生することだけを目的に開設されたブログになります。
全部で400近いエピソードが収録されておりますが、2011年3月から2012年10月までに書かれたエントリーですので、かなり古い情報も含まれておりますことをご了承願います。

2012年10月9日火曜日

386:戯れ言〜ありがたいよね、友達がいるって〜の巻

毎度どうも、@Hirosanoです。

今回はTwitterのオフ会を通して感じた話。

とある「北の最終兵器」とか「頭が核弾頭(去年の髪形)」とか「エロテロリスト」と呼ばれる北海道のフォロワーさんが、家族そっちのけでこの三連休に東京に一人で遊びに来るっていうんで、ボクも家族そっちのけでオフ会に行った、ってな事から派生した話になります。

以前もここでTwitterのフォロワーさんたちとのオフ会の話を何度か書いてますが、ボクはリアルな生活とTwitterとFacebookとブログでは、全て人格が異なる多重人格者なので、会の詳しい内容を書くと完全に引かれるかも知れません。

なので、あまりオフ会の詳細に渡るお話しは出来ませんが、今回は掲題のような話をしたいと思います。


社会人になると、勤め人ならば会社中心の生活とならざるを得ず、自ずとその一日の大半を会社で過ごす事になる。家には帰って寝るだけの日々。

最初のうちは学生時代の友達とも休みの日に連んだりするものの、転勤で物理的な距離が離れたりすると自然と疎遠になるもの。

はたまた結婚や出産など、会社以外にも家族という括りでのイベントごとが多くを占めるようになり、自分の中に占める友達との付き合いの割合が縮小傾向となるのも致し方ないことだろう。

ウチの父親がそんな典型的な会社人間だった。

高度成長期に働き盛りを迎えた人たちは、家族を犠牲にするとまではいかないが、会社で働く事に生き甲斐を見出し、働く事が家族のためになると、会社一辺倒の生活をしてきた。たまの休日には仕事絡みのゴルフとか。

同じ道を歩んでなるものか!と頑張ってみてはいるものの、友達と呼べる人たちとは徐々に疎遠な間柄となりつつある事を実感しつつ、年に数回くらいは互いの近況を報告し合おうと、細い糸で繋がる関係を維持するのが精一杯。その回数も徐々に減りつつある。

家族との会話でも「この間、会社の誰それが...」という話題しか持ち出せない。テレビもそれほど見ないせいか、世間では一般的な話をカミさんから教わる始末だ。

会社の仲間は、仲間ではあるものの友達と気軽に呼べる人たちではないし、このご時世、家族ぐるみでの付き合いなんてのも希薄だから、家の周囲でも友達を作るキッカケすらない。

ご近所付き合いだって、子供を介したそればかり。近くに住んでいればそれなりに気を使わざるを得ず、苦楽を共にした上に育まれるような深い友情など生まれようはずもない。

大人になると友達を作る場面がそうそう訪れない。

会社というフィルターを通して築き上げた関係性は、友達という形に昇華するまでに乗り越えねばならない利害関係のようなものが少なからずあるはずだ。

仕事という長い時間を共有する上に築き上げられた関係では、互いの信頼関係は比較的容易に構築できるものの、プライベートや趣味趣向を曝け出してまでの一体感を醸成する機会にはあまり恵まれていないような気がする。


そんな時に、Twitterで思わず沢山の友人を得る機会に遭遇した。

最初はおっかなビックリ始めたSNSだったが、顔も名前(本名)もわからない人たちとの間に生まれる不思議な関係にどんどん魅了されていった。

Twitterのフォロー&フォロワーの関係は、そもそも自分が何故か選び、何故か選ばれたという不確実な間柄からスタートしているのだが、匿名性も手伝ってか、相手に対して素のままの自分を自ら曝け出す行為を繰り返すうちに、テキストだらけのタイムライン上に様々な個性が散りばめられ、IDもしくはアイコンを見ただけで、その人がどんな人物かを把握できるようになる。

あくまでも自分本位な想像でしかないのではあるが。

毎日毎日、朝昼晩と挨拶を交わし、大の大人がくだらない話題で盛り上がり、自分と同じ思考を持つ人たちや正反対の意見を主張する人たちと会話を繰り返すうちに、妙な連帯感というか一体感を覚えるのは、ボクだけの経験ではないはずだ。

申し訳ないが、Twitterのタイムライン上では、ホントにくだらない事しか呟いていない。これは3年ほど前に始めた当初から変わっていない。

にも関わらず、ボケれば間髪いれずにツッコミが入るこの環境は、ボクみたいな寂しがりやの大人たちを魅了して止まなかった。

そう感じている人はボクだけではないと思うのだが。

そのうち、オフ会なるものにも手を出してみたくなるのも、自然の流れだったのだろうか。

毎朝毎晩オンライン上で会話している相手との繋がりを確かめる作業なのか、まだ見ぬ相手の素姓をただ知りたいだけという利己的な発想なのかはわからない。

心地よいタイムライン上の生活を破壊する事になるかもしれない大胆な行為=オフ会に参加する事に躊躇しなかったわけじゃない。

それよりも、ボクの友達になるかも知れない人たちが、どんな顔をしていて、どんな声で、どんな表情であれこれと語るのかを、実際に会って確かめたいという己の欲望が優っただけの話しだ。

案の定、ボクはオフ会の虜になる。

予想していなかったわけじゃない。なるべくしてなった結果だと、今ならば言える。

そうだ、何かに似てると思ったら、小学生の時と同じなんだ。

暇さえあれば勉強そっちのけで外に遊びに行き、くだらない冒険やら探検やらにあけかれた日々に似ている。

共有する時間やその密度が濃く、まだ見ぬ相手との間に友情めいたものが生まれるのも、なんだかわかるような気がする。

実際に顔と顔を付きあわせて酒を酌み交わす間柄(大人の特権)になれば、より連帯感が深まるのもなおさら、当然な話だ。

Twitterのオフ会の素晴らしさはこの歳(42歳)になっておバカな話を普通に話せる友達ができるという一点に集約される。

同じ志(こころざし)を持った者同士などという堅苦しい間柄ではない。

タイムライン上の話題や短いTwitter人生で起きたあれこれを共有できたことを互いに喜び哀しみあえる、もしくはこれから未来に起こるであろう様々な出来事を共有できる友達として、ゆるくありつつも確固とした関係性を構築できるところに、Twitter並びにオフ会の素晴らしさがあると感じている。

ボクはいちおうブロガーを名乗ってはいるものの、同じブロガー仲間に会って色々議論を交わしたいというよりも、ふだんTwitterで何気ない会話を交わすフォロワーさんと実際に会ってみたいという願望の方が強い。

日本は広い。まだお会いしていない古くからのフォロワーさんは山ほどいる。

今回のオフ会は15人での集まりだったが、初見の方も3名ほどいらっしゃった。

実に素晴らしい出会いだった。数時間程度の会話じゃ満足できない。

またオフ会で、ふだんは発することのできないような会話で盛り上がりたい。

できれば個室で防音完備の居酒屋、飲み放題無制限なんてお店をみつけて。


今回もお店に迷惑をかけそうな会話が飛び交うオフ会を堪能させていただきました。

どんな会話が飛び交ったのかは、ご想像にお任せします。当たり前ですが、決して高尚な話などではありません。

だって、子供の頃を思い出して下さい。

くだらなさの中に、友情は芽生えるものなのです。

それは大人になった今でも変わりませんよ(笑)。

少なくともボクの場合はね。

そんな事を考えた週末でした。

ってなことで、今回はここまでっ!

(おわり)

0 件のコメント:

コメントを投稿