【当ブログの説明】

こちらは、かつてPosterousというミニブログサービス上で運営されていた「ほぼ日刊ひろさの」及び「煩悩の赴くままに」というコンテンツを再生することだけを目的に開設されたブログになります。
全部で400近いエピソードが収録されておりますが、2011年3月から2012年10月までに書かれたエントリーですので、かなり古い情報も含まれておりますことをご了承願います。

2011年3月31日木曜日

028:男のコダワリの巻〜腕時計編

以前にバッテリー=電池の話をしたけど、電池で動くといえば腕時計ね。この分野に凝る人は凝るよねぇ〜。大枚はたいたりしてさ。

クォーツ時計っていうんかな。うっすい電池で動くヤツ。電池での駆動は数年間はもつと思うんだけど、これもある日突然電池が切れて困ることない?

電池の寿命は相当長いんだけど、長ければ長いほど、ある日突然電池が切れた時の哀しさったらないよね。

だから最初はさ、なるべく電池使わない方へ関心がいっちゃうんだよね。手巻き式とか自動巻きとか。ブランドものでも多いじゃない。精密機器だから、かえって手巻きや自動巻きの方が高額だったりするんだよね。職人技使うからさ。

社会人になって最初にもらったちゃんとしたボーナスで買いに行ったんだよ。ビックカメラの上の方のフロアーにある時計売場に。

お目当てはOMEGAのスピードマスターだったんだけどね。宇宙飛行士がアポロかなんかで月にしていったってのに憧れてさ。ROLEXなんかよりもOMEGAだったね。まぁROLEXは高すぎて手がでないってハナから諦めてたんだけど。

OMEGAのスピードマスターも正規品は20万円オーバーだったんだけど、並行輸入物はその約半額の10万円くらいで売っててさ。

店員さんに「何が違うんですか?」って尋ねたら、保証が違うんだとか何だとかいわれた気がする。予算が少なかったからね、もちろん並行輸入の安い方にしましたよ。高いもんだからそんな壊れるもんじゃない、って何の根拠もない自信があったから。

購入したスピードマスターは自動巻き式ってヤツで、腕を振ってると自動的にネジが巻かれて動力になるって方式。手巻き式みたいに毎日ネジ巻かなきゃならない訳じゃなさそうで、面倒じゃないって思ったから買ったんだ。だって会社行くのに毎日するもんでしょ、腕時計って。腕から外すのは家に帰って寝るときだから、まず止まるはずはないって思ってたんだよね。

……ところが止まるんだ。

月曜の朝に会社に行こうと思って時計はめると止まってる。土日には別のデジタルの腕時計使ってたから、ほぼ丸二日使ってないと止まるんだね。そりゃそうだ。

月曜の朝は時計を振ってネジ巻いて、時間を合わせてから会社に向かうってのが習慣になってた。高い買い物したんだしね。憧れのOMEGAの腕時計をしてるって漠然とした優越感みたいなもんもあったしね。

普段から普通に使ってて、メンテとか全くしてなかったんだけど、5年くらいたった頃だったか、秒針(ホントはストップウォッチ用の)が突然ポロリと取れちゃってね。小さなガラスのケースの中で行き場を失ったかのように下の方にカランカラ〜ンって落ちちゃってんのよ。

こりゃ大変だってんで修理に出したら、その他のオーバーホール代あわせて5万円くらいかかっちゃった。

でもね、そんなのも気になんなかったよ。「こだわりの腕時計に投資するオレ」ってのに陶酔してたからね。バカでしょ。あははは。

それからしばらくして、婚約指輪のお返し=結納返しみたいなもん?で、今度はOMEGAのシーマスターを手に入れた。ちなみに、このシーマスターも自動巻きね。なぜかゴッツい時計に惹かれるんだよね。

ふつうのサラリーマンってうっすい腕時計するもんなんでしょ?

でもなんか、うっす〜いシンプルないかにもビジネスマンっている腕時計をしていると「軟弱」な感じがしてさ。他の人と一緒じゃ嫌っつーか。

男って時計とか凝り出したらキリないんだよな。女性には理解しがたいんだろうけど。収集癖があるしね、ボクの場合。

そんな人生の節目にいただいた時計なんだけど、なんかだんだん面倒くさくなっちゃってさ。毎週月曜の朝に時計の時刻あわせすんのが。10年以上続けてた習慣だったんだけどね。


遊び用にしてたカシオのG-SHOCKはどんどん進化していくんだ。

最初は電池で動くゴツくてタフなデジタル時計だったんだけど、脈拍図れるってのも出たりして何本か買って使いまわしてた。

その後にソーラーパワーで動く電波受信して時刻ズレないヤツがでたときはソッコー買いに走りましたよ。

何故?って、ネジを巻く必要も時間を合わせる必要もないからに決まってるじゃない。ズボラなボクにはピッタリだったからね。デジタル表示だったから会社にはしていかなかったけど、重宝したな。

何で「デジタルだとビジネスの場に似つかわしくない」って思ってたんかな?

うーん、厳密に規定されてる訳じゃないんだけど、雰囲気?なんかな……。別に時間がわかりゃー腕時計がアナログかデジタルかなんて関係ないんだけどね。なんとなくよ、なんとなく。

ソーラーパワーって言っても、部屋の蛍光灯の灯りでも充電できるっていうから、放置しといても止まる心配なし。窓際に置いときゃ日中は陽も当たって、かつ電波時計だから電波も受信しやすくて勝手に時間あわせしてくれるんでなおよし。

電池切れの心配もなけりゃ時間あわせる手間もいらない。ズボラなボクにとってはこれほど重宝するもんはない。

しかも衝撃にも強いG-SHOCKだから、ほぼ半永久的に使えんじゃねーか?って思ってるもんね。

タフでソーラーパワーで電波で勝手に時間合わせてくれるアナログ版G-SHOCK MT-Gが出たら、これまたソッコー買って、腕時計の電池や時刻あわせの心配とは無縁になった。

ちょっとゴツいけど、アナログ表示だからスーツでもあんまりおかしくないし。ホント、電池切れの心配いらないって、いいよねぇ〜。

たぶん、もう腕時計に金かける事もないね。

G-SHOCKのアナログとデジタルを一本ずつ、仕事用とプライベート用をそれぞれ持ってれば、特に他は必要ないもんね。

プレミアム版の20万円近くするG-SHOCKもあるけどさ、ホントはそれも欲しいけどいいのいいの。ゴムでもステンレスでも。動力切れの心配と時間が合ってるかどうかの心配しないですむんだから。

(おわり)

2011年3月30日水曜日

027:ボクの人生が二つに分かれてる……の巻

タイトルのような、そんなたいそうな話でもないし全然深刻な話ではないんだけれど。

前回の終わりに書いたように、今後も音楽の話を続けていくのも一興。なんだけど、一旦違う方向に話を持っていくのもありかなって考えてる次第でして......。今回は今後の方向性について真面目に考えてみることにしやす。

音楽の話はね、好みのアーティストや曲紹介のレビューみたいなことを続けようと思ったら、そりゃいくらでもできやすよ。ダテにCD何百枚も持ってる訳じゃないからね。

何かの折りに参考にしていただければって感じで、メジャーなところもマニアックな世界も分け隔てなく満遍に私見を書きまくるってーのも、ありっちゃーありなんだわな。

ただ、ここの更新の仕方のパターンがまだよくわかってないっつーか把握できてないっつーか。

これまではテキスト中心で、たまに関連するサイトへのリンク貼ったりするくらいしかしてなくて。

できればPC使わずにiPhone単体で完結させたいんだよね。いちいちPC立ち上げて書き始めると目標の「毎日ブログを更新する」ってのには程遠くなっちゃう危険性をはらんでいる気がするんだ

。今も通勤時間帯の暇な時間を有効活用してるからね。おウチ帰ってからじゃないと出来ないんだったら、時間的にも難しくなってきちゃうんじゃないかと。だいいちめんどくさいのはダメ。続かなくなっちゃう。

アルバムのレビュー書くなら、ジャケットの写真載せたりとか曲の解説とかしたいじゃない。曲の解説なんてテキストで表現するにも限界があるから、とりあえずYouTubeでも何でもいいから一度聴いてほしくなるじゃない。そのリンクもできればカッコよく貼っときたいじゃない。そんなもんじゃない、こういうブログって。

完全に己の力量を見誤ってる気がしないでもないけど。そのやりたい事をPCではなくiPhone単体で通勤途中にできないのかなって考えなきゃならんのね、とりあえずは。なので、その方法が思いつくか把握するまでは、構想として練ってはいるものの、実現まではもう少しお時間いただかないと、ってーのが前回の終わりにも書いた話。

他の方向にテーマや話題を持ってくことでもいいんだけどさ。例えば、音楽へのこだわりをここまで披露したんだったら、他の物へのこだわりも披露して、共感や反感、賛否両論でも構わないんで、とりあえず読んでもらえそうな話題をご提供することにするってのかな。

ガジェットの話なんて、いろんなジャンルの話を展開できそうなんだよね。時計とかの小物についてでもいいし、服の話とか、デジタルグッズとか文房具とか。男って無駄なものにやたら固執する悪癖みたいなもんがあると思うのよ。ちょいワルオヤジじゃないけど、みなさんそれなりのこだわりってもんがあるでしょ?ない?

洋服なんてユニクロがありゃいいって?ま、そんな中でもさぁ、オシャレ心を忘れたくないとかあるじゃないすか。オシャレかどうかなんて誰がキメるんだっつー話でもあるんだけどね。オシャレじゃなくてカッコ悪くてもそれなりのこだわりみたいなのがあるっしょ?そんな話をするのもいいのかなぁーなんて。

日常の出来事を綴るには、いまのこの時期はまだ尚早って気がしてるんだよね。オンタイムな話題になると、どうしてもネガティブな話題に偏りがちになっちゃいそうでね。あんまり政治とかの話題には触れたくないしね。イデオロギーの方に話を持って行くと、収集つかなくなっちゃうのは目に見えてるんだよね。原発の話とか政権の話とか。

みな思うところがあって、言いたいことも山ほどあると思うんだけど、必ず水と油みたいな関係があるはずだから、子供の喧嘩みたいになっちゃう気がすんのよ。一方的にボクの怒りに任せて書き殴るのも建設的じゃないと思うんだ。なんか面白いことがありゃ書く気にもなるんだけどね。

別にシリーズ化して、律儀に順番守って書いてく必要もないんかな?

前回までの音楽の話も、前半はWalkmanの話だったのに、後半は単なる回顧録になっちゃってたからね。一応シリーズみたいな感じで続けてきてはみたものの、話があっちゃこっちゃに飛んでるとご指摘されてもおかしくない感じだったなと振り返りつつ、反省もしてみたりなんかしたりしてさ。

それこそ「煩悩の赴くままに」書きたいことを書きたいときに書きゃーいいんじゃないかと......。

ん?どっかで聞いたセリフだな。

たぶんマンガの「軽井沢シンドローム」だな。

描きたい時に描きたいものを描きたいだけ描けばいい、って耕平が純生に言うんだよ。そんなマンガの話でもいいのかもしれんね。

そんな訳で、次回は何を書こうかまだまだ思案中。ひとまず書きためてあるネタを消化しつつ、今回書いてきたものの中からピックアップして試験的に始めてみるかな。

ということで、悩み多き中年男の独り言、まだまだ続きます。

(おわり)

2011年3月29日火曜日

026:ボクラの音楽!の巻#11

その関東七大学ライトミュージックフェスティバルで緊張してた理由はもう一つあってね。その新橋ヤクルトホールの会場にお客さんを呼んであったのよ。

とある大企業のクリスマスの社員交流会で演奏するっていう営業の話しが来てて、まずは主催事務局の方に実際の演奏聴いてもらって判断してもらうことになってた。終わった後に挨拶したんだけど、OK貰えたから、それなりにステージの出来は良かったってことになんのかな。

ほぼ初めての営業の仕事が出来たので、後日先方と打ち合わせをした。

「クリスマスパーティーの会場でこの間のファンクやるのもどうですかねぇ?」って聞いたら、ジャズをやれって言ってきた。

はぁ?ジャズ?

よくわからなかったんで、その筋に詳しい、ベースのくせに弦が6本あるデカいMOONっていうベース持ってる先輩に相談にのってもらった。

この時の演奏した記憶が全くないんだけど、何の曲やったんだったかなぁ。まーったく覚えておらん。

結局は、選曲だけじゃなくて当日PAもやってもらうことになって、そのデカいベースの先輩に大変お世話になった事だけは覚えてる。

いや、そもそもそのベースの先輩が首謀者だったんだっけか?

ま、いいか。

アンプやらPAやらの機材は全て部室からホテルの会場まで自分たちで車で運んで、ローディなんかいないから自分たちでセッティングして音を調整して、演奏して、金屏風の裏で用意してもらったご飯食べて、片付けも自分たちでして、帰ってきた。

ギャラは10万円。

その営業に関わったのが5人だったから、一人当たり2万円。

時給にしたらすごい高給だと思えるんだけど、実際には練習のスタジオ代だとか機材運ぶのに借りたレンタカーのトラック代とか経費込みだから、完全に足が出てた。明らかに赤字。

それだけど、いい勉強になった。やっぱり、これでご飯は食べていけないなぁって。音楽で飯食ってくことは早々に無理だと悟ったからね。

そんなワケで、大学四年になるかならないかのうちから就職活動には没頭したのよ。

でも、バンドやってるからってマスコミ志望とは限らないのよ。レコード会社とかテレビ局とか出版関係に行く先輩が多かったのは確かなんだけど、どうも自分としては苦手に思ってね。

最初から普通のサラリーマン目指して、情報系や通信系の会社を中心に周りました。当時は「文系の方がシステムエンジニアに向いてる」なんて言われてた時代でさ。職種は何?って聞かれた時の答えがカタカナで「システムエンジニア」って何かカッコいいじゃない的なノリですよ。

大学でちゃんと勉強してなかったから、会社入ってから会社の金で、給料もらいつつ手に職つけられるなんて調子のいいこと考えたりもしてね。

就職活動中も毎日スーツ着て部室にだけは顔出してたな。四年生は秋の学園祭と卒業ライヴくらいしか出番がなかったから、毎日顔出す必要なんかなかったんだけど、現実逃避にはもってこいだったんだろうね。スーツ着たままでも、ギター抱えてポロンポロンいじってるだけで落ち着くっていうかさ。なんとなくね。

ウチらの同期は堅くてね。就職先は金融・製造業・公務員なんてヤツばかりだった。部の先輩を頼ってOB訪問とかもしてさ、何社も受けましたよ。それでもバブル末期の臭いがまだ残っていたから、何とか就職先見つかって、7月にはもう遊び始めてたかな。

四年生はホントは夏合宿には行かないんだけど、途中から顔出したりしてね。後輩たちからしたら、ホント大迷惑な話なんだけど。ウチの部は文化系の軽音楽部なんだけど体育会系並みの完全なる縦社会。年次の差は結構シビアな感じで、一年生は四年生に話しかけちゃダメなんて暗黙のルール=鉄の掟みたいのがあったりして、それをみなキチンと守るんだよね。ボクを含めその規律をナンも気にせず平気で破る奴もいたけどさ。

だから、来ないはずの四年生が突然合宿に現れると迷惑以外の何者でもないのよ。あんまり後輩たちからも慕われてなかったしなぁ。怖がられてたのかな?

秋の学園祭で何やったんか、あんまり記憶に残ってないんだよね。たぶん、それまでにやった曲を練り直してやったんじゃなかったかな。RED HOT CHILI PELPERS「Suck My Kiss」やったのはこんときだっけっかなぁ?よく覚えてないや。

たぶんね、もうバンドに対する情熱だとか熱意みたいなもんが、どっかに行っちゃってたんだろうね。

就職も決まって真面目なサラリーマンに成ることが決まってたし、夢なんかとっくになくしてたし。サッサと卒業して、今度は社会というフィールドで己の力を試したかったんだろうね、違う方向でさ。

それでもなかなか切っても切れないのが音楽とのお付き合いってヤツね。

通勤電車では必ず今でも音楽聴いてるし、車を運転するときにも音楽かけないと落ち着いて運転できないし。

好きなアーティストの新しく出したアルバムは必ず聴きたくなるし、来日してライヴやるって情報掴んだら何が何でもチケット手に入れようと思うしね。

社会人になってからは働くことがメインで、学生の時の何でもかんでもやらなきゃならない忙しさとはまた違っていた。

取りあえず仕事に集中しときゃ、それで安定した収入が得られた。それをつぎ込むようなたいそうな趣味も持ち合わせていなかったから、ひとまず好きなCDをしこたま買い込んだね。中学の頃に聴いていた、あのレンタルレコードでカセットにダビングしたアルバムがCD化されてるなんて聞くと、必ず買ってたもんな。

特にバンドやり続ける予定もなかったのに、新しいアーティストの発掘のために雑誌買って、レビュー見て、取りあえずCD買って。月に10〜20枚は買ってたんじゃない?たぶん。

いつか、そんな好きなアーティストとその曲が入ったアルバムでも紹介するかな。

ジャケットの写真載せて、YouTubeのリンクとかも貼ってね。

そんな芸当が果たして出来るかどうか?

少し勉強してみます。たぶんiPhone単体だと難しいので、PC使うことになると思うんで、ちょっと時間下さい。

んじゃ、長々とダラダラ続いたこのシリーズ「ボクラの音楽」は、今回をもって一旦終了ってことで。

(おわり)

2011年3月28日月曜日

025:ボクラの音楽!の巻#10

大学三年生になると部活動の中心になんのね。

そこまで続けてる同級生も少なかったんだけど、残ったメンバーの中で、一番先輩に噛みついてて同級生から一目おかれてたのがボクだったから、自然とバンマス(いわゆる部長みたいなもんね)ってことになった。

四年生は就職活動で忙しいから、対外的な合同ライブとかは三年生が中心に、よりすぐりの精鋭でバンド組んで出演する事になってたのよ。

春と秋に定期開催されてた「関東七大学ライトミュージックフェスティバル」ってのがあって、そいつに出演するのさ。なぜか東大を除いた東京六大学と日大とどっかの女子大(忘れた)で全部で七大学ね。

まだやってんのかなぁ。20年以上も前の話しだからね。

春秋年二回の開催だったから、春は女性ボーカルでバンド組んで、杏里をやったんだな。確か「ブギーワンダーランド」がメインの曲だった。ボクはコーラスと、サンバでよく使われてるホイッスルの担当だった。イントロで「ピーピーポッポ、ピーピーピーポッポ」ってな感じでサンバのリズムで吹くだけなんだけど。

この時ばかりは衣装にも少しは気を使ってね。浅草の仲店通りまで「祭」って背中に書いてあるはっぴを買いにいってさ。コーラス隊は色違いでそれ着るの。それ一回しか使わない衣装だから、終わったらバイト先のお客さんの、英会話学校の先生(アメリカはロスからいらしてた方)に献上させていたどきやした。

秋は、ボクがメインボーカルで、バンド組んだ。そこでようやくプロ顔負けに上手いギターとベースのコンビと本格的にバンド組めることになってね。

それまでも遊びで一緒にスタジオ入ったり企画物のバンドを組んでいたことはあったんだけど、今度は各校との合同ライブに出演するバンドだったから、真剣だったよ。

ギターのヤツがGuitar MagazineとかYoung Guitarから厳選して選曲してきた曲を聴いて、そのバンドの過去から現在までのアルバム聴きまくって更にいい曲選んで、それをスタジオで何度も何度も練習して。

ボーカルは歌うだけだから楽そうに思うでしょ。ところが輸入盤だと歌詞カードがついてなかったりするから、歌詞も耳コピしなきゃなんないんだよね。

英語が苦手でさ。耳から聞こえてくる音を拾って、とりあえずカタカナ書くの。それを英語表記にしようとするんだけど、難しくてね。むしろカタカナのままの方が、歌うときにいいんじゃね?ってことにして、基本はそのまま放置。

例えば「What is your name?」って書いてあるものは「ワッチャネーム?」って発音するでしょ。だったらカタカナのままの方が正しく歌えるような気がするでしょ。しない?

そんな感じでノートにカタカナの羅列がビーッシリと書いてあって、それをバンドのメンバーが見ても何語かわかんないし、何かいてあるか解読できないの。

いいのいいの、コピーバンドはオリジナルにより近い方が。どうせ聴いてるヤツらも何言ってんだかわかんないんだから。雰囲気が大事なのよ。そんなもんさ。

そのノートを後生大事に持ち歩いて、Walkmanで曲聴きながら、まずはメロディーラインを覚え、その後に意味の分からんカタカナの羅列を丸暗記。受験勉強なみの努力が必要でしたよ。たったの5曲なのに。

あと、ただスタンドマイクの前に立って歌うだけじゃつまんないから、フリとかつけて軽く踊ったりしなきゃならなかったりするのよ。ボーカルの女の子を数人コーラスとしてメンバーに入れて、振り付けてボーカルも一緒に踊んの。楽しそうでしょ。

練習するスタジオにはたいてい鏡があるから、歌いながら振付の確認したりしてさ。一端のプロのミュージシャン気取りだったね。ブレイクにポーズを決めるってだけの簡単なフリだったんだけどね。

曲は、Stevie Salas ColorcodeDan Leed Networkからそれぞれ選曲して、ラストの曲は何故かユニコーン「スターな男」にした。だって盛り上がるじゃない?ギターソロ長いし、ギター二人いたから掛け合いするパートもあるし。

今回は衣装らしい衣装は用意せず。いつもの革ジャンとTシャツとGパンとブーツとサングラス。髪は三年になったときにバッサリ切ってた。見た目怖くて女の子がなかなか近寄ってこないってのもあったけど、何か汚らしくてね。ちゃんと風呂入ってトリートメントもしてたんだけどさ。手入れも面倒で。新入生の子と付き合い始めたってのもあったかな。ははは。

会場は新橋のヤクルトホールっていうところで、1500人くらい入るホールだった。今までそんな大きなところで演奏したことなかったから、すんごい緊張してね。ステージも真ん中にセリっていうのかな?よくファッションショーでモデルさんがウォーキングするじゃない、ああいう通路みたいのが延びてて、ボーカルはワイヤレスのマイク使うから自由に歩き回れんの。

ステージに立つとピンのスポットライトがあたるから、ほとんど客席は見えないんだけどね。袖から会場の客の入りは確認してたから、始まる前から胃がキリキリ痛みだしてさ。出番は無難にこなしたんだけど、終わった後に神経性胃炎で楽屋の床をのたうち回ったよ。意外とノミの心臓だったんだよ。小さい男さ。

(おわり)

2011年3月27日日曜日

024:ボクラの音楽!の巻#9

間に変なのが入っちゃったけど、いつもの続きね。

そんなこんなで、大学の一年と二年は学園祭と定期的に行う部の演奏会みたいなライブの繰り返し。

この頃は長髪ロン毛で、夏でも革ジャン着てて、ほっそーいGパン履いてんのね。

そう、何事も形から入るタイプです、はい。

伸ばした後ろ髪がウザイから、バイト先のコンビニで小学生の女の子がよく買っていく髪止めるゴムヒモ買って、ワザと尻尾を縦に三段にしてたりしたなぁ。ゴムの色も三色にして。ポニーテールの三連星って感じ。ツインテールの上を行ってるな。

時代を先取りし過ぎて、学内でも浮きまくり。

バイト先に来る子どもたちにはウケたんだけどね。駄菓子も扱ってたコンビニだったから、小学生がよく来てさ、暇な時に店の前で相撲とったりメンコしたりして。あとで店長に怒られるんだけど。

とにかく、目立とう目立とうとしてたのよ。

買ったばかりのLevi'sのジーンズ、今はないUS-505ってモデルのスリムなGパン、その内側に固いスチールの缶ジュースをあてて、表から板ヤスリでちょっとずつ削ってくの。膝のあたりに穴あけて、いい感じに糸をほつれさせんのさ。

ハサミで切っちゃダメなの。如何にも履き倒して穴あいちゃいましたっていうダメージ加工、演出が必要なのよ。お母さまによく怒られましたよ、ご近所の目があるのにみっともないって。

そんなボロボロのGパン履く以前に、それ以外でもっとみっともない格好だったんだけどね。

上は基本的にHanesの白いTシャツと革ジャン。ダブルのライダースが流行ってたんだけど、そんなの着るとイカにもっ!って感じになっちゃうから、大人しめのシングルライダースが基本。バイクは原付しか乗らないけどね。

もしくは黒のコートね、夏でも。もちろん薄手のヤツよ。あんまり汗吸わしちゃうと塩が浮き出て白い筋ができちゃうからね。

それにワークブーツ。つま先に鉄板が入った重いミドルのブーツ。高いブランドの革ブーツなんか買えないからさ、東京靴卸売り市場とかで売ってるどこのメーカーが作ったのかもわからない安いヤツよ。いわゆる安全靴ってヤツだったのかもな。オデコ靴ってのも流行ってさ。ソールがラバーでやたら分厚くて、つま先が丸く膨らんでるの。身長が5cmくらい伸びちゃうんだよね。シークレットじゃないよ。見た目から底が分厚いのがわかるの。

普段はそんな「音楽やってます!」って意識した格好してんのに、素人バンドだから衣装までは気が回らないっつーか、無頓着で全然気にしてなかった。基本は普段着のまま。だから衣装代はかからなかったなぁ。目立ちたかったから、Tシャツの上から両袖をぶった切ったGジャン着て(もちろん切り口はいい感じにほつれさせるのよ)、下は所々切れて穴のあいた細いLevi'sのGパンの上から黄色い短パンはいてた。

北斗の拳のやられキャラっぽい感じだったかな。当時の彼女にも、その格好だけはやめた方がいいって散々言われてた気がする。

学校行くのにも常にサングラスね。

視力は両目とも1.5だったから、メガネみたいなものに対する憧れもあってね。Ray-Banのサングラスなんてそうそう買えないから、1000円くらいのレンズの色の濃いサングラスを何個も買ってさ。四角いの丸いの、いろいろ持ってたよ。

そんでギター担いでエフェクターのケース持って学校行くんだもん。何しに行ってんのかわかりゃしないよな。

朝の一限目に間に合うように電車乗るんだけど、一度楽器を置きに部室に寄るでしょ。

そこで先輩や同期のバンドのメンバーに会うでしょ。

軽く話しをしてるつもりが、気がついたら昼飯食べる時間になってたりして。

で、学食とか外の店に行ってダラダラしゃべりながらメシ食べて、そんじゃあ「部室に戻って缶コーヒーでも飲んで、一服しやしょーか?」ってんで、部室に置いてあるアコギを抱えながら、またくだらない話しをダラダラするでしょ。

そんで気がつくと夕方で、「あれ?いけね、スタジオに行く時間だ、失礼しやーす!」って帰って行くの。

どうしょうもないね。

一般教養だらけの二年間だから通じたのよ。試験の問題も内容も数年間変わってなくて、過去問さえ手に入れば簡単に単位取れてたからな。諸先輩方のおかげで楽勝でしたよ。もちろん学生の本分は勉強さ。でも勉強なんか、これっぽっちもしてなかったよ。ホント、お父さんお母さん、ゴメンなさい。

それと、当時は割と忙しかったからね。

バンドやってると練習のスタジオ代とか、その帰りの飲み代とか、機材揃えるためのお金とかが必要だから、バイトも沢山しなくちゃならない。メインのコンビニバイトのローテーションびっちり埋めて、1日10時間くらい働く日もあってさ。

それでも時間が空いたら、その隙間に短期の肉体労働系の仕事入れたりしてさ。短期は日払いだからすぐ金が手に入るんだ。CM撮影現場の搬出搬入とか、バイト代とは別に飯おごってもらえたしね。肉体労働の後の豚カツは旨かったなぁ。

当時はいわゆるバブルの時代だったからね。学生相手のバイトでも払いがよかったのよ。

そうやってなけなしのバイト代で練習して自腹でライヴ会場おさえて、チケットなんて売れるわけないから知り合いにタダで配りまくって。

こりゃプロになんてなれやしないだろうし、なったらなったで大変だろうなって、その当時にすでに気づいてたかんね。

(おわり)

2011年3月24日木曜日

023:おごれる者も久しからず……の巻

旬なネタなんで、シリーズを中断して、ちょっと緊急で投稿しやす。

テレビでプロ野球を観なくなって久しいから、ホントはもうどうでもいいんだけどさ。

この間のジャイアンツのオーナーの発言の報道見て、久々に頭にきちゃってね。別に巨人が大嫌いとかアンチ巨人の急先鋒って訳じゃないんだけど、あの傲慢な世間を馬鹿にした発言聞いて、数年ぶりにあの新聞、解約する事にしやしたよ。

前の解約の時は、まだ選手会長がヤクルトの古田敦也捕手だった頃。近鉄がなくなってオリックスと合併だとか、楽天ができるとか、球団数減らしてリーグ統合するとかしないとかで揉めてたんだっけかな。

ストを回避しようと古田会長が頑張って、ファンも後押ししてたらさ、そん時の巨人のオーナー?だったか親会社の社長だか会長だったかが「たかが選手が何を言っとるんだ!」みたいなことを平気で言ってたでしょ。

相手は選手会の会長だよ。

たくさんいる職業野球人の代表だよ。

ファンも選手会を支持してたんだよ。

普通の労使関係ではあり得ない話だよ。

リーグを統一したかった経営者側の思惑もあったんだろうけどさ、経営的にはその方が利益も上がったんだろうけどさ、実際に現場で働く人たちの総意を無視して、プロ野球ファンの気持ちも無視してさ、頭ごなしに高圧的に抑え込もうとするセンスのなさ、頭の悪さ、要領の悪さといったらありゃしなかった。

頭にもきたけど、それ通り越して呆れちゃってね。その発言による後々のこと考えなかったんかな?って。だから、あの新聞、ソッコー解約しました。あんなのが頭の会社が作る新聞読んだら、こっちにまで変な傲慢さがうつっちゃうと思ってさ。

だけど、後輩の旦那が関連の会社に勤めてるだとか、代わりにとってた他の新聞がことのほか面白くないとか、販売店が6ヶ月契約した特典を持ってくるっつっといてそのまま数ヶ月放置されたとかの不幸が重なってね。ちょうど引っ越しもしたから、またあの新聞にしたのよ。

でもね、また解約しますよ。

今回ので堪忍袋の緒が切れるどころか、シュレッダーにかかっちゃったからね。もうこなごな。

結果的にはあのオーナーの思惑通りにならなさそうだから、いい気味ではあるんだけど、あそこの球団とその周辺の傲慢かつ高慢な体質ってのは数年前と全く何ら変わっとらんでしょ。

今回は選手会の意向だとかはもうどうでもよくて(よくないのかもしらんけど)、震災が起こって電力消費を抑制しなきゃならんときに、あの東京ドームで大量の電気使うことにも躊躇せず、なるたけ早期開幕して利益稼ごうって思ってたってことでしょ。

東京ドームじゃなくても、東北電力・東京電力管内のどこの球場でやったって一緒さ。ナイターじゃなくてもデーゲームでも一緒。

今はそういうのみんな我慢して、電力消費量を抑えて、この困難を乗り切る時じゃない。都心ではない地域では計画停電で仕事もままならないってーのに。震災の余波が東北関東圏外にも波及しちゃうかもしれない、いやすでにその前兆すら出始めてるってのに。

それをさ、自社の利益のためだか何だか知らんけど、世間とか国とか政府とかの意向を無視して、これだぜ。

語気強めた巨人オーナー「開幕を何日にしろなんてお上が決めることかね」 — スポニチ Sponichi Annex 野球

お前はどんだけ偉いんですかってーの。

国と国民を敵に回して何やらかそうとしてるんだか。

自軍の人気の高さへの自惚れ?プロ野球人気がまだあると思ってる?とんだ勘違いもいいところさ。

どうせ親会社からの天下りでオーナーやってるんでしょ。ってことは、あの新聞社の偉くなる人とか、ラインに乗れずに子会社に追いやられたそこそこ偉い人ってのは、あの程度の人間にでもなれるってことなんだよね。

最低だ。最悪だ。

下で働く人たちが可哀想だ。

普通の会社じゃ考えらんない。

引責辞任してもいいくらい。

失言しても辞めないのは、政治家とあの会社関連の偉い人くらいじゃない?違う?

ま、ボクも仕事ほったらかしてでも被災地に飛んで、ボランティアとして復興に力を貸そうなんて度量もない、たかが知れた男だから、あんまり偉そうなこたぁ言えないんだけどね。

でも空気読めない、あんな態度の経営者は許せなかったのさ。

それと、この人もどうかと思うけどね。

加藤コミッショナー SMAP引き合いに/野球/デイリースポーツonline

もう少しまともな人にコミッショナーやらせたらどうなんかね。

「自分たちに今できること」ってのが、早期開幕して野球することなのかどうなのか、わからないんだからスゴいよね。引き合いに出されたSMAPもいい迷惑なんじゃないの?

イメージダウンだって、You、訴えちゃいなよ。

なんか、セパ両リーグ同時開催に落ち着きそうな感じではあるね。4月中の東京ドーム使用なし、東北・東京電力管内でのナイターなし。

ホントはデーゲームも管内ではやらない方がいいんだけどね、電気もったいないから。スコアボードはでっかい黒板にしてチョークで得点書くとか、球場内の放送もなしにするとか。いっそのことテレビ中継もやめちゃえばいいんだ。

プロ野球、嫌いじゃなかったのよ。

ただ、今回の一件で嫌いになりつつあるのは確か。

一部の人間の失態によってね。責任は重いと思うよ。

理事会ではまだ決定ではなくて、正式にはオーナー会議で決まるんでしょ。まだ決まった訳じゃないらしいね。

これでまだ揉めるようなら、また人気下がっちゃうね、プロ野球。

ま、それも仕方ないか。

(おわり)

022:ボクラの音楽!の巻#8

何か回想録みたいになってきちゃったけど、この話って面白い?

面白くなくてもまだまだ続けちゃうよ!ゴメンね!

夏合宿も終わり、最初のバンドはギターのヤツが限界感じて半年ほどで勝手に脱退して(早っ!)、後任のギタリストを同級生の他のバンドから探してきて再スタート。

秋の学園祭には出られる程度に少しだけ成長してた。ギターが代わったのが大きかったかな。最初のギターは下手くそでわがままなヤツだった。友達としてはいいヤツだったんだけどね。方向性も多少他のメンバーとは違ってたかな。

致命的だったのは、音を作れなかったんだよね。ギターもベースもキーボードもそうなんだけど、有名な曲のコピーするときには、当たり前だけど楽器が出す音もコピーしなきゃなんないのよ。

ギターだとエフェクターってのを使ってさ。BOSSのコンパクトエフェクターを何台も繋ぐの。コーラスだとかディストーションだとかディレイだとか。椎名林檎の「丸の内サディスティクス」って曲にも出てくるRATTのディストーションがいい音でね。みんな使ってた。オーバードライブは好き嫌いが別れてたな。ボクは好きだったよ、BOSSのTurbo Over Drive、黄色いヤツ。

今はマルチエフェクターが当たり前なんでしょ。箱一つでいろんな音出せるんだから凄いよね。社会人になってからチェンジペダルと一体になった安いマルチエフェクター買ったけど、すごかった。値段の割にいろんな効果がついてて。Auto Wowなんかもついてんのね。

そんなエフェクター使って、それぞれのつまみ回して音を作るんだけど、最初のギターは持ってるエフェクターの数も少ないし、音がいい加減だし。ペラペラに薄っぺらだったんだ。

だからダメだったんだと思う。

バンドの方はまともなギターに代わって、でも相変わらずサザンオールスターズのコピーやってた。「怪物くんの夜」とか「メリケン情緒は涙のカラー」とか。アルバム「鎌倉」が出た頃だっつーことだね。歳がバレるな。

そんなバンド生活に慣れてきた頃には、ボクも余裕が出てきてバンド掛け持ちし始めて、女の子がボーカルのバンドに下心満載積載量オーバー気味でベースで参加したりしてさ。レベッカのバンドだったかな。「Maybe Tomorrow」なんてゆっくりな曲なんだけど、結構ベースは難しかったのよ、ホントに。まだ「Friends」の方がノリと勢いでどうにかなったもん。シットリした曲は逆に難しいってこった。

そういえば、中森明菜の曲もやったな。

ボーカルの女の子とどうにかなりたくて手伝ったんだけど、その後部活にこなくなっちゃってね。手を出す前だったのに。ライブ一回こっきりでオサラバよ。その後学内でもあまり見かけることはなかったなぁ。ま、いいか。

そんな浮気もしながら、メインのバンドははサザンのコピーはやめてオリジナルの曲作りだした。「GERO×2(ゲロゲロって読む)」っていうバンド。で、あとはFENCE OF DIFENCEのコピーバンド「non-stAndard」ってバンドのボーカルを掛け持ちでやってた。ちょろちょろサイドギターっぽい事もしながら歌うのさ。難しいんだぜ、ギター引きながら歌うの。リフ刻むくらいが関の山さ。

メインのバンドでオリジナルの曲作ってたって言ったけど、オリジナルの曲作るってのは、イカ天が全盛期だったからだね。

知らない?「イカすバンド天国」って土曜の深夜にやってた三宅裕司とYOUが司会やってた番組。フライングキッズ、ビギン、たま、このあたりのバンドがこの番組で10週勝ち抜いてデビューしたんだよ。お笑いスター誕生みたいなもんさ......。だいぶ違う?あら、そう。

その「イカ天」の影響で自分たちで曲作って作詞して、いつか出演するんだって頑張ってたのよ。もちろん応募すらせずにその番組も終わっちゃうんだけどね。

そんなオリジナル曲をそのままライブとか学園祭で人に聴かせてたんだもんな。穴があったら入りたい気分だよ、今は。

曲のクオリティーはそれなりに高かったと思うんだ(ホント?)。でも作詞がね、これがすんごく難しい。歌詞考えてても、こっぱずかしいんだ、これが。たぶんBOOWYとかの影響だと思うんだけどさ、基本は日本語の歌詞なんだけど、やたら歌詞に英単語が混じるんだよね。「揺れる心のMotion」とか、「何のあてもなくTurn on TV」とか......。

キャーキャー!恥ずかしいっ!

何の歌なんだっつーの。ふつうに「テレビつける」って言えってーの!

あー、書いてて汗かいたわ。ふーっ!

(おわり)

2011年3月23日水曜日

021:ボクラの音楽!の巻#7

大学受験が無事終わり、晴れて大学生になると、テニスサークルやイベントサークルの新歓コンパに行きまくりつつ(しばらくはタダ同然で酒飲めるじゃない?)、所期の目的どおりに早々に軽音楽部に籍を置いた。

もちろんバンド組むんならギターやりたかったんだけど、初対面のギターやってる先輩に「お前の指はカブト虫の幼虫みたいに太いから無理だっ!」とヒドいこと言われてさ。確かに太くてコードちゃんと押さえらんないんだけどね、今でも。

そんな先輩も一目置くような、すんげぇギター上手いヤツが同級生にいたりして、こりゃあギタリストで一歩抜きんでるのは無理だと、マッハで、いや、光の速さで諦めた。人間諦めが肝心だから。

そのギターの同級生といつもつるんでいる同級生のベーシストもいて、またこいつも超絶上手いんだ。

でも何か楽器やりたいじゃない。初心者だから弦がギターよりも2本少ない4本しかなくて、基本的に単音でいいベースなんて持ってこいだと思ったんだよ。なけなしのバイト代でベース買って一生懸命練習したよ。好きな曲のスコア買ってさ。

けど、甘かったね。弦が少ないから簡単ってのが、素人の浅はかさ。難しいんだよ、リズム隊は。己のリズム感のなさに愕然としたね。メトロノーム買って基礎的で地道な練習繰り返して、その後に独特のグルーヴ感を養わなきゃならんのさ。時間がかかるよね、何事もその道を究め、技を収得しようとするにはさ。簡単にはいかないさ、世の中なんて。

そんな上手い奴らが同級生にいて、「いつか一緒にバンドやれたらなぁ」なんて思ってたけど、大学デビューの素人なんか相手にしちゃもらえないだろうとハナから消極的になって、しばらくは声もかけられずにいた。

たくさん入った同級生の中で手薄なパートはドラムとボーカルだった。

女の子はみんなキーボードかボーカルでダブつき気味だったんだけど、男のボーカルがいなかった事もあるし、小学校3年生以来スティック握ったことなかったから、とりあえずドラムでも勝負できそうにない。ここは手薄なところ狙っていこうと、結局最初に組んだバンドではボーカルやることにしたんだ。高校の時からバイト先の店長とカラオケスナック行って、まだレーザーディスクだったカラオケで鍛えてたしね。「釜山港へ帰れ」が十八番だったんだよ。

え?ロックじゃないって?いやいや、心はいつもRock'n Rollだったよ。コブシが転がる岩のようにコロコロ転がってたんだ。

うまいね、どーも。うまくねーか。

最初は、素人にせっかく生えだした毛をわざわざむしっちゃったような、そんな下手クソだらけのメンバーでバンド組んだんだよ。メンバーのほとんどが初心者の、サザンオールスターズのコピーバンドだった。ホントは尾崎豊をやりたかったんだけど、メンバー全員の猛反対にあって諦めた。宗教的に迫害されてたってことね。宗教弾圧だな。違うか。

バンドでは「Miss Brandnew Day」とか「いなせなロコモーション」とか「TARAKO」のコピーやってたんじゃなかったかな。

ドラムの一学年上の先輩だけは上手かったんだけど、いつか愛想尽かされるんじゃないかとハラハラだった。力量が圧倒的に不足してて、夏の学園祭には恥ずかしくて出られなかった。本番の学園祭数日間は裏方に徹しましたよ、トホホ。

夏合宿で先輩が合宿限定の企画バンドを組むことになって、そっちのバンドのボーカルにってボクも参加させていただけることになった。SuperBadのコピーバンドだった。すごいマイナーなバンドなんで知ってる人いないかもしれないけど。

夏合宿限定の暇つぶしに作ったバンドだったんだけど、ボク以外は全員上級生だった。ボクの指をカブト虫の幼虫って言った先輩(根に持ってる)がドラムだった。期間限定の遊びだったはずなのに、気合いの入り方から違ってね。周りのメンバーの演奏が上手いと、歌っててこんなに気持ちいいもんなのか?ってなくらいノリノリでシャウトしてた。「アーォッ!」とか「クッコーン!」とか。「トトトトトンガレ〜♪ もっとトンガレ〜!」ですよ。わかるかなぁ〜?わかんねぇだろなぁ〜。マイナー過ぎて。

軽音楽部の夏合宿っていっても、練習スタジオがたくさんある宿が河口湖にあって、そこに缶詰めで秋の学園祭に向けた練習するだけなんだけどね。朝から晩まで酒飲みながら練習してダラダラ過ごすの。ローテーション組んでスタジオに出たり入ったり。

育ち盛りだから腹が減ってね。三食まともに食べても、まだ食べたりなくてさ。河口湖の深夜のコンビニの弁当の仕入れ時間まで覚えたからね。いつ寝てたんだ?あんま寝ないで、でもダラダラと時間を潰してたんだよな。

夏の合宿だから最終日の前夜にはみんなで花火やったりしてさ。青春だね。ロケット花火を先輩に向けて放ったり、先輩の足元にネズミ花火置いて逃げたりしてたっけ。

ふつうの新入生は大人しくしてるもんらしいんだけど、なぜかボクひとり目上の人たちにやたらと絡みたがってはね。ふだんは怖いと思っている先輩たちにもちょっかいばっかり出してた。

イタズラしたお詫びに、ドラゴンっていう花火を口にくわえて「ゴジラ」って芸をやったり。幼かったけど楽しかったなぁ。バンド全然関係ないけどね。

だから音楽的にではなくて、別の意味で周りから一目置かれるようになったよ。「アイツはちょっとオカシイ」ってね。

いかれポンチ君だったな、あの頃も。

(おわり)

2011年3月22日火曜日

020:ボクラの音楽!の巻#6

中学に入ると男性アイドルの曲なんて聴かなくなったねぇ。

レンタルレコード店が出始め、ヒットチャートのシングル曲じゃなくて、お気に入りのアーティストのアルバムを聴くようになった。オフコースとかオフコースとかオフコースとかを聴いていた。

なんでオフコースだったのかよくわかんないんだけど、友達の兄ちゃんがハマってた影響なんだよな、たぶん。

売れたシングルはもちろん、アルバムに入ってるだけのシングルカットされてない名曲の数々に圧倒されてね。

今でこそ有名になっちゃったけど、「言葉にできない」とか「一億の夜を越えて」なんてよかったよなぁ。古い曲だけど「秋の気配」もいいね。

別に暗い少年だったわけじゃないのよ、ホントに。

そんな中坊はマセガキだから、調子こいて洋楽なんかも聞き始めるんだ。

前にも書いたけど、「小林克也のベストヒットUSA」に出てくるMTV見たさに夜更かししてさ。JOURNY「SEPARATE WAYS」を何度も何度も繰り返し聴いていた。大きくなったらStieve Perryになりたいと本気で思っていたよ、あの頃は。

YES「Lonely Heart」も何度も繰り返し聴いたなぁ。あれ?これは高校の頃か?まぁいいや。

あとASIA「Don't Cry」とかSTIX「Mr.Robot」とか。

Michael JacksonとかHall&Oatesもよく聴いていたのはこの頃だな。Nena「99luft Balons」が流行ったのもこの頃か?Culture Clubとか、懐かしいね。

80年代はボクらの世代に取って洋楽の宝庫だもんな。同じ世代のヤツらがCMのディレクターやってんのか、一時期はCMソングでかかりまくってたもんね。

中学の後半から日本語じゃない(ここがポイント)LOUDNESSを聴くようになってから、より一層ハードな方向性を求めるようになるんだけど、一方で思春期の絶頂期を迎えていたので、ようやく女性アイドルにも興味深々だってことを公言できるようになってね。ムフフ♡

当時はアイドル大豊作時代だったけど、歌の上手さで選んだ中森明菜ばかり聴いていた。可愛かったしね。今でいうツンデレの先駆けなのかな?初期の頃のアルバムはほとんど買って持ってたっけ。お小遣い貯めてLPレコードを買いましたよ。

高校に入ると洋楽もアメリカのハードロックに固定化された。

例えばRATTとかNight Rangerとかを聴きながら、でも、尾崎豊浜田省吾も聴いたりした。

尾崎には可笑しいくらいハマってたね。尾崎教の信者だったもんね、しばらく。

ちょうど地元に尾崎豊の実家があってさ。尾崎のお母さんが市のカルチャーセンターに通ってるっていうから、そこに通ってる知り合いのお母さんに頼んで、ファンレター渡してもらったりした。期待してなかったのに、サイン色紙がかえってきたんだよ。いまでも持ってる。サインと一緒に「Try your best」って書いてあった。「Do your best」じゃないとこがスゲーって思ったよ。「ただやるんじゃなくて、やらされるんでもなくて、自らやってやろうって思ってやらなきゃ、ダメなんだっ!」って曲解してね。思い込みが激しかったからなぁ、多感なお年頃だから。あははは。

でもね、オンタイムで聴いてた当時、盗んだバイクで走り出さなかったし、夜の校舎窓ガラス壊して回ったりはしなかったよ。行儀よく真面目なんてできやしなかったけど。バーガーショップに駆け込んでポテトをコーラで流し込んだりはよくしてたな。わかるかなぁ〜?わかっちゃうよなぁ〜、たぶん。

尾崎はあまりにも聞き込みすぎて、いまだに初期のアルバム三部作は一曲目から順番間違えずに歌詞見ないで歌えると思うよ。工場のラインで働いてたとき、仕事に慣れてきてあまりにも暇だったから、延々と頭の中でリピートしてたもんね。ちょうど亡くなった年だったな。

会社の寮で朝飯食った後に何気にスポーツ新聞に目をやると、尾崎豊の訃報が大々的に一面に掲載されててね。もちろん自分の目をまずは疑ったんだけど、それも虚しい行為でさ。ちゃんと仕事にも行ったし、その時は呆然自失したけど泣きはしなかったんだよな。

築地本願寺でのファンも参列できる葬儀には行かなかったよ。会社は休みだったんだけど、雨だったし。

その後のゴールデンウィーク中に、当時つきあってた彼女と河川敷に停めた車の中でアルバムを繰り返し繰り返し聴いてた時だったかな、大声で唄いながらなんだか泣けてきちゃってね。彼女の胸に顔を埋めて泣いたっけ。この件で泣いたのはその時だけだったな。

30歳をすぎた頃かな。亡くなった一時期の騒ぎも下火になってきた頃、「あぁ尾崎の歳をとっくに追い越しちゃったんだなぁ」って感慨にふけると同時に、「何で尾崎豊じゃなきゃ駄目だったんだろう?」ってことを考えたことあるんだよね。十代のカリスマ・代弁者だったんだろうけど、冷静に振り返ると晩年はわがままなナルシストだったんじゃない?

十代の頃に作った曲は、十代だったボクらの心にすんごく響いたんだけど、その後、あの熱い頃の歌以上の傑作は生まれてないと思うんだ。早過ぎた天才、夭折ってのがぴったりきちゃうんだよな、ボクの中ではね。お気に召さなかったらゴメンね。

話は高校生の頃に戻るね。

高校の頃、同級生の中にはバンドやり始めるヤツもいて、猫も杓子もBOOWYのコピーバンドをやってた。金曜日の深夜に始まった、渡辺徹と山田邦子の「いきなりフライデーナイト」のオープニングで「Justy」がかかったのがブームの始まりだったような気がする。

当然ながらブームに便乗してBOOWYも聴きまくりましたよ。「B Blue」「Cloudy Heart」「Image Down」とかね。「ハイウェイに乗る前に」なんて友達とハモってたもんな、教室で。布袋のコーラスの真似して遊んだりね。低い声で「Under the Moonlight〜♪」なんてね。これ、「Only you」のBメロの辺りね。

ボクもホントはバンドやりたかったんだけど、金もなかったし、高校の授業終わったら予備校にも真面目に通ってたから、大学受験が終わるまではとバンドやるのは我慢した。我慢してる間にBOOWYは解散しちゃうんだけどね。トホホ。

その頃何やってたかって?最初は運動系の部活だったんだけど、一度怪我して高校二年生の途中で引退してね。それから「帰宅部ドラマ班」と称した、『学校終わったらすぐ帰って4時から日テレの「太陽にほえろ!」の再放送を見るのが主な活動内容の部』に所属してたよ......。

そう、そんな部活なんてない。ただの帰宅部。何もせずダラダラ過ごしてただけなんだ。鬱屈した青春の憤りを内に秘めつつね(ウソ)。

それが大学生になって爆発することになるんだけど、その話は次回で。

(おわり)

2011年3月21日月曜日

019:ボクラの音楽!の巻#5

今度は純粋に音楽に関するお話でもしてみますか。過去の話と多少ダブるけど、ゴメンよ。

物心がついて最初に音楽に触れたのは、幼稚園の年長の時だな。

母親の趣味で、本人(ボク)がやりたいと言ったわけではないのに、突然ヤマハのオルガン教室に通うことになった。周りは女の子ばかりで男はボク1人。いま考えるとパラダイス以外の何物でもないんだけど、その年頃だと恥ずかしいだけでね。

だから乗り気じゃなかった。友達ができる訳じゃないし、ホントは鍵盤叩きたかった訳じゃないし、才能あるはずないからあまり上達しないし。男の子1人ってこともあって発表会では大ダイコやらされた。オルガン全然関係ねぇー!

それでも2年間きちんと勤め上げて、次のエレクトーンにステップアップすることになった。ここが辞め時だと思ったんだけど、母親が乗り気だったから仕方なく従った。なんて空気の読める小学2年生。エラいぞ!ボク!!

エレクトーンも極めるとスゴい事になるんだけど、両手だけでも大変なのに足でも鍵盤踏まなきゃなんなくて、それはそれは難しかった。また男は1人。発表会ではドラムを担当させていただきました。ホント、何を習いに行ってたんだかわからん。

それでも、一応エレクトーンの検定試験みたいのがあって、グレード何級だったかを取った記憶がある。この時、小学校3年生だった。

子どもの時ってあんまりクラシックとか興味持てなくない?

だからオルガンもエレクトーンも演奏すること自体はそんなに嫌いではなかったんだけど、演奏する楽曲が面白くなくてね。次はピアノって母親に言われたんだけど丁重にお断りしました。

ただ単に辞めるって言うと説得力ないから、カラダを動かすスポーツをやりたいっつって男の子らしいところをアピールしてね。ここで辞めました。ホントは後悔することになんだけどね。もうちょっとちゃんとやっときゃ後で役にたったんだけどな。

ここで一旦、演奏からは離れることになって、もっぱら音楽は聴くものになっていったのさ。

最初は特撮番組の主題歌とかアニメソングのレコードを聴いてばかりいたんだけど、小学校も高学年になるとマセてきて、芸能人とかアイドルとか歌謡曲に興味持つようになるじゃない。

オルガンとかエレクトーンで演奏するクラシック音楽への反動もあって、家ではオヤジがよくかけていた石原裕次郎とか内山田裕とクールファイブのアルバムを一緒に聴いたりしてた。渋いっしょ(笑)。

夜のヒットスタジオとかザ・ベストテンとかトップテンとかをTVで観るようになったりしたのもこの頃ね。

オヤジは専ら演歌目当て。五木ひろしとか八代亜紀ね。

ボクは西城秀樹とか田原俊彦とか近藤雅彦などの男性アイドル目当て。だって小学生だから女性アイドルの松田聖子河合なお子柏原芳恵なんかを好きだって言えないんだよね。なんか恥ずかしくてさ。

一応聴いてはいたんだけどね。

でも、今になって冷静に振り返ると、聖子ちゃんよりも河合なお子や柏原芳恵が好きだったのは、オッパイ大きかったからだな、たぶん……。

長渕剛がまだガリガリで上下ジーンズの衣装でフォークっぽいのを歌っていたっけ。「順子」とか「グッバイ青春」とか。今の長渕からは想像できないだろうな。いまじゃ身体だけみたらジュニアヘビー級にした蝶野だもんな。ファンの人がいたらゴメンよ。

ニューミュージックも流行りだした頃だったね。

ユーミンとか中島みゆきとか。意味も分からず「悪女」とか聴いてたし、ばんばひろふみの「幸子」って暗い歌もよく聴いたな。オフコースの「さよなら」とかさ。

フォーク崩れのミュージシャンが多かったんだよね。CHAGE&ASKAなんかも「ひとり咲き」「男と女」「エピローグ」なんて曲はフォークっぽかったからなぁ。

サザンオールスターズも出だした頃かな。子ども心に衝撃的だったよ。上半身裸でベストテンで大騒ぎしてんだもん。歌詞も訳わからんし。車でカセットかけると、よくオヤジが文句言ってたよ。「何言ってんのかわからんっ!」てね。そんなところがまた良かったりするんだよね。「ふぞろいの林檎たち」はまだ子どもだったから、見てませんでしたよ。「いとしのエリー」や「栞のテーマ」だっけ。

まだ小学生だからラジオでエアチェックしてカセットに録音して、そんなのを聴いてたんすよ。ずーっと。

(おわり)

2011年3月20日日曜日

018:ボクラの音楽!の巻#4

そしていよいよ現代に近づいてまいりました、ネットWalkmanの登場です!いや、メモリータイプWalkmanとも言うのかな。

PCが必須なんだけど、CDから曲をリッピングしてAtrak3という形式のファイルに圧縮し、それを転送するっていう、今じゃ当たり前の方法で外に持ち出して音楽三昧さ。

これまでの流れで、音楽に関してはWalkman中心で生活しちゃってきているから自然にメモリータイプの音楽プレーヤーもWalkmanを選んじゃったんだけど、ホントはいろんな選択肢があったんだよね。まさかiPhoneなんて製品が出るとは思ってなかったから音楽しか聞けないハードディスクの入った重たい初期のiPodを選ぶ理由はなかったし、その他のMP3プレーヤーもあんまり眼中になかった。カッコ悪かったし。

だから汎用性のないAtrac3とかAtrac3plusなんていう形式のファイルにどうしてもこだわっちゃったんだな。実際に、圧縮率の割には音の劣化も少なくてファイルサイズも小さいから今でも十分使えているしね。

今のWalkmanは記憶容量が64GBあって、7000曲の音楽とトータル100時間以上の録画したワンセグ入れててもまだ余裕ある。ホントに。ただ他では使えない汎用性がないファイル形式なのが残念。

一度汎用性のないファイル形式選んじゃうと後戻りできないんだよね。数年前にiPhoneと出会って、音楽も聴けるってんでiTunesにCD取り込んで聴いてみたりした時期もあったんだけどさ。しばらくしてまたWalkmanに回帰しちゃったんだ。

一旦は過去の莫大な音楽資産を捨てる気になってはいたものの、聴きたい曲のためにCD借りなおしたりiTunesに取り込まなきゃならない事に疲れてたし、純正イヤフォンの性能のせいもあるんだろうけど音は好みじゃないし、あとそもそもiPhoneは別用途にも使うから電池が全然持たないし......。

んっ?!

おぉ〜、ここでようやく本題にたどり着いた。

そう、そうなんだよ。iPhoneで何でもできるんだけど、電池が持たないって話しをしたかったんだ。

随分となげぇ〜前振りだったなぁ。あははは。

iPhoneに限らないんだけど、携帯電話っていう本来は電話機のはずのものに音楽プレーヤーやゲーム機やPC紛いの機能やらといろんな用途の役割を持たせちゃうと、本来の機能である電話をしたいときに電池がなくなりかけてたりするんだよ。iPhoneでもTwitterやったりネット見たりを音楽聴きながらやってると異様に電池の消費が早くない?カメラやメールくらいだったらそれほどでもないんだろうけどさ。

だからiPhoneが最も得意とするものではない機能は、他の機器で事足りる場合には別の機材を用意して役割を分散することにしたっつーわけさ。

音楽と録画した番組はWalkmanの方がボクには向いてるってこと。音質もいいし、ノイズキャンセルだとかイコライザーとかついてて好みの音も作れるし、なにせ慣れてるし。別にWalkmanの電池が切れたってあまり支障はなさそうだし。

iPhoneは通信できるネットへの入り口をコンパクトにした魔法の小箱。ただそれだけだけど、音楽や映像以外のいろんなことができる存在であればいいのさ。

今回、最後は全然音楽じゃない話になっちゃったな。しっけい失敬。

そんじゃあ次回からは純粋に音楽の話なんぞを。なんて、予告してみたりして。

(おわり)

2011年3月19日土曜日

017:ボクラの音楽!の巻#3

そんなわけで、かなり間があいてしまったけれど、以前書いていた音楽だかプレーヤーだかバッテリーだかの話の続き。

レコードの時代が終焉を迎えた80年代後半、次に台頭してきたのがCD Walkman

カセットのWalkmanに比べて、大きさはデカくて丸くなっちゃった。でも曲の頭出しや巻き戻しの手間がいらなくなったのが良かった。カセットの時も曲と曲の無音部分を検知して頭出しとか出来たんだけど、物理的にテープを巻く構造だから時間がかかってね。

当時、学生の時にバンド組んでたボクにとっては、何度も繰り返して同じ曲を聴かなきゃならない「耳コピ」には、CDっていうメディアは欠かせない機材の一つになっていた。

唯一のネックはCDそのものを購入しなきゃならなかったことかな。

まだPCでリッピングとかコピーなんかできなかったし、著作権そのものもこれからウルサくなっていく時代の初期だった。もっぱら聴くのはバンドでやるロックの洋楽中心だったから、輸入盤が安くて助かったけどね。

Living ColourとかStevie Salas ColorcodeとかDan Leed NetworkとかExtremeとかさ。Guitar Magazineにスコアが載ってる新しいバンドを見つけてきては、CD買ってきて、聴きまくって、バンドでやったりしてた。ちょいマイナーだから、たぶん知らないでしょ。ははは。

それでも金がなくてCD買えないときはレンタルCDを借りてきてまだテープに落として聴いてたはず。最初に買った車にもまだカセットデッキしかついてなかったからなぁ。お気に入りの洋楽のバラードばっか集めて詰め込んだマイベストテープ作って、当時の彼女に散々聴かせたもんさ。迷惑な話だけどね。

カセットの時代が終わりを迎えたのは、MDが台頭してきた頃だな。

既に社会人になってたと思う。ストレス解消のために就職後もたまたま東京に残ったメンバーで遊びでバンド続けてたとき、録再型のMD Walkmanを買って使ってた。

今でもMDは沢山残ってるけど、要はレコード→カセットの流れをCD→MDに置き換えたんだよね。ダビング時間も大幅に短縮されて、ワンタッチでOKだった。後に80分のMDに4倍も入る規格も出来たし、たくさん曲を入れて通勤で音楽聴いてた。MDは好きな曲だけを選んで録音できるってところがカセットと同じで使い勝手で、やっぱCDと比べたらコンパクトで扱いやすかった。

当時はまだ半角カナか英数字のみだったけど、曲名やアルバム名も入れられたのが新鮮だったなぁ。わざわざ曲名とか歌手名をIndexとして書かなくてもよかったからね。その分、文字の入力が大変になったけど、汚い自分の字じゃないから。MDはあまりメジャーなメディアにはなれなかったかもしれない規格だけど、ボクはよく使ったし、実は未だに車のデッキで使ってたりするし、好きなメディアだったんだ。

ところで……。

休みの日にこれ続けるの難しいね。

明日は落とすかも知れない、と最初から言い訳しとこう。ははは。

(おわり)

2011年3月18日金曜日

016:そろそろ趣向を変えてみようと思う。

最近は、シリアスながらもユーモア溢れる内容や、ボクの人となりが表れる人情味あふれた話しが多かった(ふつう自分で言わない)けど、ひとつ大きな問題が生じていることに気がついた。

これさ、毎回毎回長くねぇ?

最初は一回につき1000文字程度を目安に毎日やってみようかなんて考えてたんだけど、ここ数回はその倍の2000文字、ヒドいときは4000文字オーバーなんて時もあったかんね。

勢いづくと止まんないっていうかさ、調子に乗っちゃうと何処までも突っ走るタイプってヤツ?

作文が苦手で400字詰め原稿用紙がなかなか埋まらなくて困ってた頃からは想像もつかないくらい、文章長くなっちゃったんだよね。まとめるのが下手です、はい。

震災のストレスに負けない方法 : ライフハッカー[日本版]

今こそ隣人に対して寛大になろう:日経ビジネスオンライン

これらを読むと、知らぬ間にストレスため込んでて、はけ口を探してたんだなって思う。

たくさん書くことで、ストレス解消になってたんだなって。文章が長くなればなるほど粗も目立つようになるし、かといって表現を端折ると伝わらなくなるかもって心配になるし。悪循環の末に修飾語や形容詞が多くなって、ドンドンドンドン長くなっちゃうんだよね。

そういう意味じゃ意外と気を使いつつ書いてたんだと、ストレス溜め込む原因になってたんじゃないかって思う一方で、意外と本人はまだ楽しんでやってるんだよね。でも、毎回長い文章読まされる方はたまったもんじゃないよな。うん、わかってる。

これでも一応ATOK Padで下書きして、誤字脱字を修正して、句読点の位置や段落変えて調整したりしてんのよ。掲載後も見映えチェックしたりしてさ。タグもつけたりして。それなりに推敲してんの。

だけど完成度が低くて、あとでガックリしたりするんだよね。前回なんかPCで調整しつつやってたら、知らぬうちに余計なhtmlタグがついてて、何度も再更新しなきゃなんなかったりしてさ。まぁ、それも含めて楽しいんだけどさ。

突然の大きな自然災害があったから途中で「本日は内容の一部を変更してお送りしてます」ってな感じになってきてたけど、日記風だと会社や家族の話がどうしても多くなりがちで、グチっぽくもなるからいただけないんだよな。企業機密や個人情報をダダ漏れにするわけにもいかないから、書きたいのにそれほど詳細には書けなかったりして、フラストレーションも溜まるのよ。

だから、そろそろ本来の路線に戻そうかと思ってる。

また何か突発的な事象が起これば別だけど、まだ途中の話もあるし、別のテーマも用意してるからね。書き終えてるネタも数回分ストックしてたりして、結構真面目にやってんのよ、実は。

というわけで、次回からは「008:ボクラの音楽!の巻#2」の続きの#3にしようかと思うんだけど、どうかね?どうなんだろうね?

ニュースも地震関連ばかりだったし、そろそろ趣向を元に戻してもいいんじゃない?

......いいよな。うん、そうしよう。

やっぱり、自分が幸せだと感じる状況にないと、他人を幸せにはできないと思うんだよね。無理して自己犠牲を払う必要なんてないのよ。

それが日本人の美徳なのかもしれないんだけど、思いやりや心遣いなんて、ある程度の余裕がないとできないはずなんだよね。

だから己の信念に基づいて、他人の言うことなんてそれほど気にせずに、自分のペースで出来ることを出来そうなときにやればいいんじゃないかな?って思うんだ。それがRock'n Rollなんだと思うよ。世の中きれいごとばかりじゃやってらんないからね。

無理しちゃだめだ。

無茶してもだめなんだ。

......何か説教くさくなってきちゃったな。


今日嬉しかったこと。毎日律儀に更新してるこのブログもどき、見てくれている人に面白いって直接いってもらえた事。

こんな事ばかり書いてていいんかなぁーって迷いが生じてたんだけど、やってる意味が少しでもあるって確認できたことが大きかった。これだけでどんぶり飯三杯はいけるなって思ったよ。ありがとう。

それでは、次回からはいつもどおり(っていうほどの回数ではないけれど)でお送りいたします。

どうぞご期待ください。

(おわり)

2011年3月17日木曜日

015:【記録】2011/03/17 パニックがいっぱい

今日こそネタはないだろうと思ってたんだけど、またこのシリーズの続き。

すまんね、ホント。


本日の輪番制計画停電グループ4は18:30から停電予定だったので、朝は余裕で遅寝したかったのだが、業務の都合で早出しなければならなかった。

家族を起こさないように一人朝5時に起きる。電車の運行は気にならなくなりつつあるが、昨夜から寒いので電力消費量が心配だ。TVでも今日の計画停電は確実に実施されるだろうことを伝えていた。

会社では午前中のうちに通常業務の全てをほぼ終え、午後からは震災関連の業務。

こんな事があったから職場の緊急連絡網も再度見直しをしておかねばならない。今回の地震発生時にはメールの通信手段としての有用性がかなり評価を上げていることから、震災前は家の固定電話と携帯電話の番号しか会社に届け出ていなかった者にも声をかけてアドレスを教えてもらうことにした。

どこぞの銀行のシステムが数日前からトラブっているらしく、ウチの会社にもお詫びと今後の対応のご報告ということで営業の方がいらした。「こんな時に申し訳ございません」ってのが枕詞になっている。いろいろ対策を打っているが万が一のこともあるのでご迷惑をお掛けするかもしれない、って言われても何て返せばいいのだろう。励ましの言葉の一つもかけて上げたくなったが、それもどうかと思うので「とにかく頑張ってください」としか言いようがなかった。

経済産業大臣だか官房長官だかが会見で、今日の電力消費量の状況では突然の大規模停電が起きる可能性があると言っていたらしい。輪番制計画停電もグループの一部ではなく全戸対象で計画停電を実施することはほぼ決定的らしいが、それをしたとしても突然の大規模停電のリスクがあるとのこと。

どこの会社も一緒だとは思うが、ウチの会社でも早々に帰宅許可が出た。東京駅を見下ろすと、既に東海道線ホームには人だかりが。東京駅に向かう人も続々と歩いている。また帰宅ラッシュになりそうだな。きっと殺人的な混雑になるに違いない。軽いパニックが都会でも起こっている。

この間の土曜日のような満員電車に乗るのはもうこりごりだった。後輩が「自転車置いてあるんだったら乗って帰ればいいんじゃないすか?」と言ってきたので、「あぁそうそう、オレ自転車置いてあるんだった......っておーい!これから日が暮れて寒さ増すっつーのに、壊れた自転車乗って帰れるかっってんだ!」と返しておいた。

ここは慌てず定時までは会社にいるか、と思ったそんな矢先、システム部門から電話が入った。どうもウチのシステムもトラブったらしい。

今日行った処理のプログラムが一世代古かったらしく、誤ったデータ更新をした可能性があると。実は朝一番で一部のデータがおかしいと同僚が気づき電話で確認していたのだが、今日午後の処理で解消されるとその時は言っていたのがシステム部門。実際に午後の処理を回してみたらより一層の事態となったらしく、慌てて連絡してきたという。

うそ〜ん!だから言ったじゃ〜ん。

とにかく影響範囲とリカバリー方法を調べてみてくれと伝え、電話を切った。相手はこちらに対するすまない気持ちで一杯だったのか、かなりパニクっていた。

これでラッシュが解消されようが何しようが、すぐには帰れなくなった。

そろそろ家のほうでは計画停電の時間が迫っていた。とりあえず携帯で家に電話しようとしたけど繋がらない。帰宅パニックでまた混雑しているのかな?

仕方がないので会社の固定電話から家の固定電話へ。繋がった。カミさん曰く、既に風呂も夕食も終え、布団も敷いて停電に備えているという。あと10分くらいで停電だね。オレまだ帰れないけど子供たちよろし......、で切れた。ブチッと切れた。まだ18:22。オレ何かカミさんの気に障ること言ったか?と思ったら携帯にメールが入り、停電したとのことだった。予告より早いじゃねーか。どこも慌ててんだな。

やることといったら連絡を待つことだけ。タバコ吸いに喫煙室に行ったり、応接室でNHKのニュース見たりして時間を潰す。30分くらい後に連絡が来た。影響範囲はそれほどでもない、大元のデータを入れ直せば後続処理のリランを行うだけで大丈夫。だが大規模停電があるかもしれないから、作業の途中で落ちるとどうなるかわからない、という主旨の内容を伝えられた。それじゃあ今日はデータの修復までにしておいて、日数的にまだ余裕があるからリランは明日にでも実施しますか、という主旨の内容を伝えた。一応データ修復作業が済むまで待機することになった。

またカミさんからメール。暇だそうだ。電池で動くポータブルDVDがあったらいいのにと言うので、Amazonで調べてやった。ワンセグ付きでも1万円くらいで買える、聞いたことのないメーカーのポータブルDVDプレーヤーがあったので教えてやると、すぐに返事が帰ってきて「それ今見てた」とある。そうか、停電に備えてiPadを家に置いてきたんだっけ。そんじゃiPadで暇潰してろや、と思ったが、メールは返さないでおいた。

待てど暮らせどシステム部門からの連絡はこない。東京駅のホームを見ると、既に閑散としている。一時的な帰宅パニックは治まったようだ。あまりにも人が少ないので電車の運行が取りやめになったと思うほどだ。そんなことはしないでくれ。ボクが帰る頃までは動いててくれよな......。


んで、いまここ。

まだ会社にいる。

まだ作業完了の連絡はない。

いままで会社のメールでこの文章を打ってた。これを送ればブログ更新完了だ。こんだけの量の文章打つほど暇だったってわけだ。

たぶんそろそろ帰れんだろうなぁ。たぶん。

それにしても、待つだけなのはツライね。恋と一緒だ。なんのこっちゃ。

帰った頃には停電終わってるといいな。終わってんだろうな。大規模停電回避できたって載ってたし。

晩飯食べてないから腹減ったな。今日は昨日のカレーの残りかな。楽しみだな。

あーあ、早く帰りてぇなぁ。

(おわり)

2011年3月16日水曜日

014:【記録】2011/03/16 シンドローム?

まず最初に。

交通機関の運行状況もほぼ安定し、以前と変わらぬ生活リズムに近づきつつある(生活の中身はだいぶ変わったけど)ので、そろそろこの記録シリーズも終わりにしようかと思っていたんだけど、ネタになりそうなトピックスがまだ多少あるので、今日も続けようと思う。しばらくお付き合い下さい。


今日のグループ4の計画停電は朝一番の6:20から予定されていたので、いつもより30分早い5:30に起きた。

まず身支度を整え、カミさんが用意してくれた朝食を食べながらTVでニュースを見る。

昨晩22:30過ぎに発生した静岡県富士宮市を震源地とした地震の続報も気になるところだが、まずは計画停電が実施されるのかどうかと、電車の運行状況を確認したかった。

通勤に使う京浜東北線は「通常運行」となっていた。間引きもせず、10割フル稼働で動いているらしい。劇的な改善。とりあえず通勤の心配はなさそうだ。

計画停電は実施されるともされないとも確実な情報がない。

今日は寒くなるので電力消費量が増えるから実施は確実と言っているのだが、ボクら家族の住むこの地区で実施されるのかが判らない。PCで東電のホームページを見るが、確証を得られる情報は皆無。時間までヤキモキしながら待つしかない。

ウチのマンションはポンプで水を上階に汲み上げているので、停電になると水道もトイレも使えなくなることは管理会社が配布した通知で判っていた。すでに風呂桶には水を張っているので当面は問題なし。

だが、開始時刻になっても、開始時刻から30分経過しても、停電が始まる気配はなかった。そろそろ家を出なればならない時間になるので、会社へと向かう。

相変わらず朝から震災対応の仕事でバタバタとする。トリッキーな事はせず、確実で着実な方法を取らないと、現地は混乱する一方だ。

慎重に、でも迅速にあらゆる事を取り決めねばならないので、神経がいつも以上にすり減るのも仕方がない。自然とタバコの本数が増える。

午後にはまた地震があった。今度は千葉が震源地らしい。一体全体どうなってるんだ。

家の状況も気になったので、喫煙ルームで一服しつつ、携帯でメールを確認。カミさんから「結局停電はなかったけど、いまの地震は結構揺れて怖かった」とメールで報告があった。停電にしろおさまらない余震にしろ、いろいろと苛々することばかりだけど、結果的には停電ないし地震も大したことなくてよかったね、と返事を返す。

それに被せるようにまたカミさんからメール。

なんでも、ご近所の奥さんが言うには「関東は放射能汚染が怖いから、子供を連れて地方にある実家に避難する」と言ってるらしい。「良かったらあなたたちもどう?」と誘われてるという。

出た。

「ナクナルカモシレナイ症候群」の次は「ヒバクスルカモシレナイ症候群」だ。

よく出るな症候群、ここんところ。

昨晩の地震関連報道で福島第一原発で起きる数々のトラブルで周辺住民の避難のニュースが長く扱われていて、その周辺住民の人たちが気をつけなければならないことをおどろおどろしく淡々と流す画面をみつつ、Twitterで珍しく

「周囲20〜30km圏内の人たちが注意しなければならないことを、何の前置きもなしに日本全国に垂れ流すこの報道の姿勢は何なのか?」
といった真面目なpostをしたのだが、やはりあれを見た普通の人は「危ない!危険だ!」って思ってしまうんだろうな。無理もない。

昨晩カミさんにはテレビ見ながら不機嫌そうに早口で解説したのだが、改めて説明しなきゃならんのか。ふぅ〜、疲れる。

ボクは文系出身で、生理的に合いそうもない高校の先生と出会って以来、物理が大嫌いになってしまった。だが、放射能汚染に関して調べ物をするには、そんな事は言ってられない。放射線量の知識を少しでも身につけようとネットで情報を漁ってみる。

「ミリシーベルト」「マイクロシーベルト」とはどんな単位なのか、どのくらいから危険なのか?放射線量計測単位のまとめ - GIGAZINE

こんな記事を読んでみたんだが、前半部分は役に立つものの、後半で出てくる「仕事量」だとか「ジュール」だとかはやはり物理っぽくて解りづらい。書いた人には申し訳ないけど。

「シーベルト」の意味を知っていますか?--Newton、記事を無料公開 - CNET Japan

これは非常にわかりやすく解説してあっていい感じだった。3年前くらいの記事だってさ。無料で公開。やるなNewton。

他にも、ニュース記事などで実際に昨日都内や埼玉で計測された数値を拾い集める。これらを使って説明するしかない。


まずは単位の話から。

報道ではマイクロシーベルトミリシーベルトが併用して使われているが、この関係性を理解しないといけないとGIGAZINEにも書いてあった。

話は単純で「1ミリシーベルト=1,000マイクロシーベルト」ということ。TVなどではあまり注釈がつかないものの、使われている数値はすべて1時間当たりに浴びる量を示しているらしい。

福島第一原発で最初の爆発が起きた際に計測された数値が「400マイクロシーベルト/時間=0.4ミリシーベルト/時間」っていうことになる。

とかく数値が大きいと誤解を招く恐れがあるから困る。

会社でも、1,000,000円というとすごい大金のように見えるが、これって1百万円と表現したりするでしょ。書類のスペースの問題もあるけど、こうすると大した数字じゃないように見えてこない?

だから、ここでの単位はすべて大きいほうの「ミリシーベルト/時間」に統一することとしたい。表記も「ミリシーベルト/時間」では長ったらしいので、「mSv/h」と表記する。

次に普通に生活していて浴びる放射線の量。

世界の平均値として「2.4ミリシーベルト」という数値があちらこちらに出てくるが、これは1年間に浴びる放射線の量。つまり「2.4ミリシーベルト/年」。これを解りやすくするためには時間に直してあげなければいけないので、365日で割って、更に24時間で割る必要がある。

答えは「0.0002739mSv/h」ということになる。これを(A)としよう。

先に出した数値である福島第一原発で最初の爆発が起きた際に、原発のかなり近くで計測された数値である「0.4mSv/h」は通常の1,460倍に相当するから、確かに問題のある数値だと思う。ただし、これは原発のごく近くで検出された数値で、一般の民間人にはほぼ関係のない数値だから参考にはならない。

そこで、昨日埼玉県で検出されたという数値を用いることにする。

とある記事によれば「さいたま市では3月15日午前11時に、通常のおよそ40倍にあたる1.2マイクロシーベルトの放射線量が検出されました。」とある。この「通常の40倍」という表現も厄介だが、これは後で。ここでは「1.2マイクロシーベルト」をここでの単位に戻して「0.0012mSv/h」と表記してみる。これを(B)とする。

(A)が普段の数値とすると、(B)は(A)の約4.38倍ということになる(0.0012÷0.0002739=4.38116101)。

まぁ普通の数値(A)よりは多いことになるかな。40倍と4.38倍じゃエラく違うような気もするが、ここで比較しても仕方がないか。

X線検査で浴びる放射線量を例に出してみる。

集団健康診断の時に撮る胸部X線検査、いわゆるレントゲン検査で放出される放射線量は「0.06〜0.14mSv」らしい。

低い方の数値「0.06mSv」はレントゲン検査1回当たりに浴びる放射線量を示した日本放射線学会の雑誌に掲載された古い数値とも合致するんだけど、これって1時間当たりなのかな?

比較対象になるのかわからんけど、単純比較すると(A)の約219倍もある。(B)と比較すると50倍か。

バリウム飲んで検査する胃のX線検査は「3.3mSv」で(A)の約12,048倍。(B)と比較しても2,750倍。

CTスキャンは「6.9mSv」で(A)の約25,191倍。(B)でも5,750倍もある。

レントゲンは一瞬だし、バリウムも長くて1分程度(食道から胃に流れるバリウムを撮像しているんだから一瞬じゃないよね?)だから、外を出歩いている時に浴びる放射線量と比較しても意味がないのかもしれないけど、数値だけみると検査の時に浴びる放射線量って意外と多いんだなぁって気になる。

官房長官も会見で話していた、東京−ニューヨークを往復した時に浴びる放射線量は「200マイクロシーベルト」は「0.2mSv」。(A)と比較すると、約730倍にもなる。(B)と比較しても約166.7倍。

しかもレントゲンやバリウム検査と違って、結構長い時間飛行機に乗ってるから、結構な量の放射線浴びてるんじゃないかって気にならない?全行程の総量だとしても、10時間飛行機に乗っているとして10分の1。それでも(A)の73倍だし、(B)の16.67倍もある。

関東近郊に住むと放射能汚染が怖いから地方に疎開するっていうよりも、だったら海外旅行辞めた方がいいんじゃない?

地方に移動するのに飛行機使ったら元も子もないんじゃない?

ん?どうなん?


ね、気づいたでしょ。ようは言い方なのよ。

数値の表記の仕方によって、大きく印象が異なるんだ。単位を大きいものに合わせるとすべて小数点以下の話になるから大した数値に見えなくなる。

「通常の40倍」って報道があったけど、レントゲンなんてそれ以上だし他の検査なんかヒドい数値だと10,000倍以上って表現になる。飛行機乗ったら大きい方で730倍ってんだから、大変なことやってるんだって印象持つでしょ?

持たない?いや、持つでしょ〜。

ボクは専門家でもないし物理嫌いだし、ここでの数値的な意味の検証なんかしてないから何の証明にもなってないかもしれない。

実際に数値書いていて思ったんだけど、レントゲン撮影は一瞬だし、胃のバリウム検査だってそんなに長くない。ニューヨーク往復だって全行程で浴びる量かもしれないし、毎時の数値かもしれない。

だからこの場で表記した50倍とか25,191倍なんて数値にも何の意味がないのかもしれない。だから何の証明にもなっていない。

そういう意味じゃ、テレビや新聞で報道している「◯◯倍」って数値だって、本当に比較する双方が同じレベルのもので計算した値なのかってことがわからなくなる。そもそも信ぴょう性がどれほどあるのかも疑わしくなる。

でも、『表現の仕方によって人が受ける印象が大きく異なる』ってことは証明してみせたんじゃないかな?って思うんだけど、どうでしょう?

結論として言えることは、主にTVや三流の夕刊で流布されていることは、やはり数字のマジックなんだ、ということ。

小学校の時に友達にあだ名つけた悪口言ったりすると「言われた相手がどう思うか、考えてから口に出しましょうね」なんて怒られなかった?

だから視聴者がどう受け止めるか考えてテレビカメラの前でしゃべってほしいんだよね。プロなんだから。

一般の人達の不安感を募らせて何か楽しいことでもあるんだろうか……。

おっと、いかんいかん。別にマスコミ批判をしたくてこんなことやってるんじゃなかった。これをカミさんに説明しなけれ……

あれ?もう寝てるのか。

まぁいいや。

(おわり)

2011年3月15日火曜日

013:【記録】2011/03/15 日常

しばらくは、朝起きてまず最初にする事が電車の運行状況の確認になりそうだ。

PCを立ち上げるのも億劫だから、携帯に届くYahoo!交通情報メールで確認する。昨晩の報道にあったとおり、一時の混乱は落ち着きを見せたようで、通常の5〜7割程の本数ながら電車は動いているらしい。

計画停電の予定は相変わらず直前にならないと判らない。朝一番の6:20からのグループに入る地区の人は気が気じゃないだろう。今日も、実際にはグループの一部の地域のみ7時頃から停電する模様だ、とTVのニュースが伝えている。ウチは9:20からのグループに入っているので、カミさんが朝食の準備と並行して、早々に洗濯機を回し始める。

昨日はボクの意図的な判断ミスもあって、通勤というつまらない日常をとても素晴らしく楽しいイベントに変えてみせたのだが、そんな事を毎日続ける体力的余裕もなければ、実際に自転車も会社に置いたままだったので、仕方なくいつも通りの手順で出社の準備をする。いつも以上に通勤に時間がかかるだろうからと慌てたりもせず、遅刻なら遅刻でいいやと開き直るわけでもなく、あくまでも自分のペースに忠実に、淡々と、ほぼ決められた手順に則って支度を整えるところがB型のB型たる所以なんだろうか。

家族に精一杯の愛情を込めて「行ってきまーす」と玄関を出る。

街はいつもと変わらず、いや、若干人の出が少なめに見える。やはり勤勉なサラリーマンはいつもより早く出かけるものなのだろうか。やはりボクはサラリーマンとしては失格なんだろうな。

駅に向かう道を歩いていると、車の交通量が通常よりも多いことに気づく。だが車は動く様子もなく停車した列が続いている。早くも渋滞かと思いきや、先頭の車の先に見えるのはガソリンスタンドだった。街中の小さなガソリンスタンドで、大きな街道沿いのそれよりも価格設定が高めだからか普段は閑散としているはずのガソリンスタンド。そんなところにも、これだけの車が朝早くから押し寄せているところを目の当たりにすると、いよいよ「ナクナルカモシレナイ症候群」は手を着けられないほど蔓延していると実感する。こいつはかなりの重症とみた。

最寄りの駅に着く頃まで、徒歩で駅に向かう人はまだまだまばらだった。駅のホームに降りても閑散としている。おかしいな。電車は動いているはずなのに、そんなにみなさん早く会社に向かったのだろうか?

電車はほぼ10〜15分間隔で運行されているらしい。ホームに降り立ったのは2分後に電車が来る時間だった。最寄りの駅は始発から一駅目なので、座れることはなくても混み過ぎて乗れないなんてことはないはず。吊革に掴まってしばらく立ってれば、運が良ければ座れることもあるだろうと、たかを括っていた。ホームに電車が滑り込んで来たときに、その予想が余りにも楽観的すぎた事を思い知る。先頭車両から窓にへばりつくくらいの満員だった。たぶんこうだ。みなさん隣の始発駅までわざわざ遠回りしてでも電車に乗ろうとしているってことだ。なるほど。真面目なサラリーマンはやることが違うな。

幸いにも、若干空いている車両に乗ることが出来たので、吊革の確保に成功。棚に鞄を載せてiPhoneでTwitterの朝の挨拶を始める。いつもなら武蔵野線との接続がある南浦和で少し空くはずが、本数が少ないので降りる人以上に乗り込む人がいる。混雑は変わらない。先週土曜日の帰宅時よりは全然楽だったのが救いだ。

赤羽−田端間は一番の乗車率区間だった。前に座るオジサンの足の間に片足を滑り込ませ、斜に構えて手すりで身体を支えなければならなかった。この間Twitterでpostなんか出来やしなかった。田端で山手線と並行するので、気の早い人はそちらに乗り換えていたが、逆に山手線の方の乗車率が跳ね上がってしまったようだ。体勢を戻してTwitterの続き。

上野駅で目の前に座るオジサンが降りた。ボクはあと少しで降りることもあって、隣に立っていた少し年上に見える女性に席を譲ろうとした。すると、反対側に立つ若いサラリーマンがボクを押しのけて座る気配を見せたので、わざわざ手で制して女性に「どうぞ」と声をかけなければならなかった。そのサラリーマンがこちらを見ていたので、満面の不敵な笑顔で応えさせていただく。先に目を逸らしたのは若いサラリーマンの方だった。よし!ボクの勝ちだ!と小さな勝利を噛みしめた(これはTwitterでも女性に好評だったので、記録しておくことにした)。

会社には普段よりも10分遅れで到着。停車する度に人の乗り降りに時間がかかるから仕方がない。始業には余裕で間に合ってる。職場には昨日よりも多くの人がすでに出てきていた。

昨日、電車が混雑してるので出勤を止めさせた妊婦の後輩が早くも席に座って仕事をしていた。電車大丈夫だったか?と声をかけると、始発で来たという。大事な身体なんだからこんな時ぐらい無理すんなと言っておいた。後から考えると、これって捉えようによってはセクハラ?いやいや、考えすぎかも。

震災に端を発した関連業務は目まぐるしく増えていく。ひとつ片づけるとまた新たな課題が浮上する。いろんな部門を跨いで調整しなければならない事も多い。みな大変な時なんだから自部門の利己的な主張は自重してほしいのだが、なかなかそうも行かない厄介な奴もいて、余計に手間をとらせる。自ずとタバコの本数が増える。いかんいかん。

こんな毎日がしばらく続くんだろうな。やがてそれにも慣れて、これが日常と化すのか。少し楽になれば、またそれが日常となり、そんなことが繰り返されて行くのだろうか......。

午後、カミさんからメールが入った。結局、停電はなかったとのこと。明日は朝一番の停電が予定されてるらしい。埼玉県でも放射線が検知されたらしいから、できればマスクをして帰ってきた方がいいと。

やっぱ違った。まだまだ慣れそうもないや。こんな事に慣れちゃダメだ。こんな気疲れする生活は、いつまでも続いたらダメなんだ。

朝、長男が、今日はコロコロコミックの発売日だ!と騒いでいた事を思い出し、カミさんにメールの返信でもう買いに行ったのか?と聞くと、帰りに買ってきてやって欲しいと返事が帰ってきた。

今日は急いで帰らなくちゃならない大事な用事ができてしまった。さっさと切り上げて帰らなきゃ。残りの仕事を片づけるために、タバコを消して席に戻ろう。

(おわり)

2011年3月14日月曜日

012:【記録】2011/03/14 交通パニック

朝起きてニュースを見る。相変わらず地震の悲惨な情報ばかりが垂れ流しになっている日常に気が滅入る。

夜、寝ている間に携帯に入った地震速報を確認しようとメールを見ると、Yahoo!の交通情報メールが複数件入っていた。東海道線・京浜東北線・横須賀線・埼京線などが一部運転見合わせという内容だった。

あれ?なんでこんな地震があった当日の古いメールを見てなかったんだろう?これは金曜とか土曜のメールなんじゃないか?と最初に思った。

だが、TVのニュースでも同じことを言っているので、今朝の話なんだと気づく。

よくよく確認すると、計画停電の影響で都内の一部しかJRは運行していないらしい。

ということは、最寄りの埼玉のJRの駅に行っても電車に乗れないということじゃないか。

さぁ困った。

今週は一日も休めない仕事のピークだ。何としてでも会社には行かにゃあならん。

ま、こんな時に仕事の心配をするのもどうかと思うのだが。

だが、悲しきサラリーマンは、どうしたものかと思案する。

案の定、さっきまで寝ぼけていた頭では妙案を思いつくはずもない。

ひとまず課のメンバーたちの状況が知りたかったので、メンバー全員に一斉同報メールを出した。

妊婦の後輩は電車が動いているので出社するとの返事。いやいやちょっと待て。恐らく殺人的な混雑ぶりになるだろうからやめておいた方がいいぞと、今日は休むようにとたしなめた。

神奈川方面に住む新婚の後輩は、何とか横浜までバスで行き、東横線で都内を目指すと言っている。よし頑張れ!

千葉市の奥に住む若手は、多分出て来れないだろうとの予想に反し、すでに会社の近くまで来ているとの返事。何で?と問いただすと、自宅とは違う都内の別のところから出社してます……だと?!

ははーん、そういうことか。青春万歳!熱いぜ、ヒューヒュー!グッジョブだぜ!

とりあえず一番最初に会社に着きそうだから何とか頑張ってくれと激励。

もう一人の千葉県民は、どうも出て来れそうもない、とはなから消極的なお返事。お前の担当業務は今日が山場なんじゃないのか?と思ったが、先週末歩いて自宅まで帰っていたので、無理すんなと返しておいた。

さて、それじゃあボクはどうしようか。

この間歩いて帰るくらいだったら自転車買うわっ!と言ってたことを思い出し、とりあえず自転車で行けないかとGoogle地図で距離と経路を調べる。

会社までの距離は30km弱、この間調べたばっかだった。

自転車置き場に行き、愛車r&m BD-1の状態をチェック。

タイヤの空気を入れ、ブレーキの利き具合を確認。

よーし、行けそうだ。

カミさんにその旨を告げると明らかに呆れた表情だったが、そんなことは意に介さない。だってオイラB型、一度キメたことはトコトンやり尽くすんだーい。

帰りも電車が動いている保証はない。一応寝泊まりできるように下着の着替えを用意。シャツにカーゴパンツというカジュアルな服装だったので、念のためにスーツもリュックにきれいに畳んで積める。何て律儀なサラリーマン。

まだ3月も半ばなので寒いだろうと予想し、ウインドブレーカーを羽織り、いざ出発。

一時間に10kmは走れるだろうと予測していたので、10時に出発しても午後からは仕事に取りかかれるはずだ。

まずは幹線道路を目指す。

細かい道は解らないので、頭の中に入っている主要幹線道路を辿るように東京に向かうしかない。

大宮バイパスだと多少西よりにずれてしまう可能性があったので、中山道から行こう。

思った以上に車が多い。

しかも渋滞している。

車道を走ろうと思ったがちょっと危ないので歩道を走る。バンピーなので尻にダメージが蓄積するが仕方がない。

浦和でスポーツサイクルショップに立ち寄る。携帯用の空気入れを購入。パンクセットは用意していたが空気入れがどうしても見つからなかったので、出費は痛いが万が一の事を考えて買ってしまった。

当たり前の話なのだが、自転車を一生懸命こいでいるので暑くなる。ウインドブレーカーはリュックにクシャクシャと丸めて詰めた。

ひたすら中山道を南下する。

蕨に入った。

ここまでの所要時間は一時間。漕ぎ出してから一回も給水してなかったが、せめて都内に入る目処が立つまではと我慢する。

戸田に入った。

ということは、荒川が近い。川を渡れば東京都に入る。

堤防が見えた。

川を渡る直前に自販機が見えたのでミネラルウォーターを買った。堤防を登る坂の手前で休憩。水分補給してタバコで一服。

iPhoneの地図で現在位置と目的地の経路を確認。まぁ予想通りの行程だ。

荒川を渡る手前のキツい上り坂、先は長いので無理せず降車して歩く。

坂を登り切ったあと、川を渡る平らな橋の上は颯爽と走る。風が気持ちいい。

東京都板橋区の看板の下を通過。ようやく都内に入った。まずは第一関門突破だ。

まだまだひたすら中山道を南下する。

この先はアップダウンが出てくるはずだ。案の定、板橋区志村坂上で緩やかだが長い坂道と遭遇。ギアをチェンジして一生懸命漕ぐ。その横を電動アシスト付き自転車に乗った買い物途中のオバサンが悠々と通り過ぎていく……。

ダメだ、やる気なくした。

降車して歩く。無理しない無理しない。

坂を上りきったところにセブンイレブンがあった。

そろそろ昼も近いので早めの昼食にしよう。

自転車で距離を走る時には、いつもコンビニのオニギリを食べると何故かボクの中で決まっている。適度に汗をかいた後に食べるコンビニのオニギリは何故だか格別に美味いんだ。ツナマヨとおかか。最高に美味かった。水を飲み干し、ポカリスウェットを購入した。

さて再出発だ!と思ったら、トラブル発生。

車体と後輪の車軸の間にある緩衝材(確かエラストマーとかいうゴム製品)がものの見事に割れていた。たぶん酸化してモロくなっていたんだろう。

コイツがないから尻が痛かったのか。いつもより道路の凹凸をよく拾い衝撃が強いなぁと思ってたんだ。

この部品はBD-1を扱う店舗でないと手に入らないだろうなぁ。そんな店がすぐに見つかるはずもなく、さがしてる時間も惜しかったりので、そのまま強行出発。

しばらく行くと首都高速が見えてきた。板橋本町辺りか?

交通量も一時的に増えてきたみたいだ。

そろそろ左に曲がってみようと何の根拠もなしに脇道に入る。バンピーな歩道がきつかったこともあるのだが。大きな通りと交差したので更に左折。走りながら道路名の看板を見ると、環七通りとある。

マズい。環七じゃだめじゃん。都心には近づけない。

次の交差点の手前にある道路表示をみると、右折方向が十条となっている。

こっちかな?とまたまた適当に選択。

しばらくいくと埼京線と交差した。ほどなく自衛隊の基地が右手に見えた。はっきり言って、よくわからん。

坂を登ると直進が王子で右折が駒込とある。下り坂の王子方面も捨てがたかったが、方向的には駒込じゃないかな?と思い右折の道を選ぶ。

北区役所を右手に見つつ直進すると大きな道路に出る。一瞬だけ明治通りに入ったらしい。左手には飛鳥山公園が見える。

なんだ、結局王子駅の近くに出るんじゃないか。

明治通りは右折するのだが池袋方面と書いてあったので明らかに方向が違う。直進の本郷通りを進む。

またしてもここでトラブル発生。

軽い上り坂だったので数回ギアをチェンジしたときにペダルが空回りする。

チェーンが外れたのか?と思ったため一度止めて確認したが、チェーンはキチンとなっている。

ギアの部分がイカレたのか?と思ったらシフトレバーから続くワイヤーが切れていた。

これでギアは使い物にならない。

幸いにも一番重いギアに固定されていたので走りには支障がない。ボクの足が疲れるだけだ。

気を取り直して本郷通りを進む。

アップダウンが出てきた。ギアが重いのでよけい疲れる。

だが車の量が減ったので、余裕で車道を走れるのが唯一の救いだった。

西ヶ原を過ぎ、滝野川で道なりに右折。

駒込の駅で山手線の上を通過。

本駒込の辺りから学校が増えてきたみたいだ。ということは......

見えてきました、最高学府・東京大学。帰ってきたぞ!我が母校(ウソ)。

歩道がレンガのような石畳なので尻にモロに響くのがいただけなかったが、東大なので許すことにした。

本郷三丁目を抜けると、左が日本橋方面、右が御茶ノ水方面とある。

御茶ノ水方面は一旦坂を上って下るはず。日本橋方面は平坦のままだが、その先右折すれば下り坂。当然重いギアで走るので日本橋方面を選択。

東京医科歯科大の裏を通って湯島聖堂手前で右折。聖橋を渡りニコライ堂のすぐ脇を通って坂を下る。

小川町で左に行くと外堀通りに出られるのだが、ここはあえて直進して大手町のビジネス街を颯爽と走ってやろうじゃないか。後は平坦だし。

神田橋を抜けて経団連の前を通り過ぎると大手町の金融街。

永代通りを過ぎ、東京海上ビルを過ぎれば和田倉門だ。

右手に皇居、左手には東京駅。

来たぜ!東京!イヤッホー!!

このときゴールが近いせいか、頭の中にはロッキーのテーマが繰り返し繰り返し流れていた。思わず「エイドリアーン!!」と叫びそうになる。

自社の入るビルの前まで来ると、もう感無量だった。

裏口から入り、社員証をみせて貨物用エレベーターに愛車と共に乗りいつものフロアーへ。

交通が混乱しているから出社できている人間も少なかろう。そんな中、遠く埼玉の地から自転車で満身創痍で駆けつけたオレはサラリーマンの鏡だ、ヒーローだ!

そう思っていたが、フロアーには多くの人がすでに出社していた。

先日の土曜日、ようやく動き出した電車に乗って一緒に帰った埼玉方面の同僚のほとんどが出社していた。

おかしい。ナニカガオカシイ……。

一人スーツ姿でない自分が妙に浮いている気がする。

そっと近くの席にいる与野から来てる女性に「あのー、どうやってここまで来たんすか?」と訪ねると、どうやら埼京線は朝から大宮−新宿間で運行されていたらしく、赤羽乗り換えで東京駅まで難なく来れたらしかった。

しかも昼過ぎから、止まっているはずの京浜東北線は大宮まで運行が再開されているらしい......。

結局、今日の自転車通勤は、僕の自己満足と冒険心を満たしただけで、その代償に愛車に無理をさせて所々壊し、ボクの脚にかなりのダメージを残すのみに終わったようだ。

その後はキチンと仕事をしたさ。そしてまだまだ元気に動いている京浜東北線で素早く帰りました、とさ。

おしまい。

(おわり)

011:【記録】2011/03/13 狂想曲

朝起きたときには普通の日曜日だった。

ただ、ゴーカイジャーも仮面ライダーオーズもやっていない、ニュースばかりの日曜日の朝だった。

とりあえず朝食を食べる。

牛乳を節約するため、いつものホットケーキは早々に却下。

買ってあった六枚切りの食パンにマーガリンとトマト&バジルソースとトマトケチャップを塗り、とろけるチーズを乗せてトースターで焼いた。簡単な具なしピザトースト。これが長男のお気に召したようで、毎朝これが食べたいと言うので、そんな贅沢はさせんっ!と一蹴しておいた。

いつもならプリキュアが始まる時間もニュースは続いていた。ひょっとしたらと思いテレ東にチャンネルを換えてみたら、思った通り子供向けのアニメが放送されていたので、そのままベイブレードとリルぷりを子どもたちに見させた。

そろそろ近所のスーパーに買い出しにでも行ってみるかと子どもを連れて行ってみると、お客様感謝デー並みの混雑ぶり。駐車場待ちの車の列が鈴なりだった。レジも相当の人が並んでいる。これは出遅れたかな?と思いつつ、目当ての品を探す。

まずは乾電池。ウチにあるラジオや懐中電灯は単三と単四の乾電池だったので、eneloopを探したが見当たらず。パナソニックの充電式のEVOLTAがあったので、充電器とのセットを購入。高くついてしまった。単一と単二電池はとっくに売り切れていたらしい。残っている乾電池は単三と単四ばかりだった。

カセットコンロのガスは早々に売り切れたみたいだ。パンもインスタント食品もサトウのご飯も軒並み売り切れ。トイレットペーパーもティッシュも売り切れていた。

軽いパニックが起きていると悟った。

短期的な停電や断水を前提としたならば、カロリーの高いキャラメルやチョコ、ウイダーインゼリーやカロリーメイト、サプリメントなどが売れてもいいようなもんだ。なぜ日持ちのしないパン類が売りきれるのだろう?トイレットペーパーが売り切れるなんて、オイルショックじゃないんだから。

ボクはこの現象を密かに「ナクナルカモシレナイ症候群」と名付けることにした。

帰宅してカミさんに報告すると、それでもまだ買えるものを買っておきたいということになり、再度スーパーに出向くことになった。ここにも症候群の人がいた。

相変わらず駐車場待ちの車の列が続いている。確か1500台は収容できるはずなのに?と思っていたら、3階以上の駐車場は使用中止になっていた。町田のコストコで地震による崩落事故があったからか、このスーパーの建物自身にも相当のダメージがあったのかは定かではないが、平場の駐車場だけしか使えないんじゃ混雑するのも無理なかった。

食料品売り場は相変わらず混んでいた。

先ほどよりも品数が明らかに少なくなっている。生鮮食品は比較的残っている。野菜も必要だということで、長ネギや大根、キャベツなどをかごに入れる。何故かモヤシが完売だった。安くてかさが増やせるからだろうか?

納豆も売り切れだった。ご飯に合うからかな?

鮮魚類は残っていたが肉類は牛も豚も鶏も数が少なくなっている。体力つけるために肉中心に売れているのだろうか?豚の小間切れが欲しかったが、ロースしか残ってなかった。

米もほぼ売り切れ寸前。水を節約したかったので無洗米を探したが見つからず、普通の米を買った。

家にホームベーカリーがあるので強力粉を多めに買った。パンが売り切れならば作ればいいのだ。

酒類は控えた。家に水は十分にあるので、烏龍茶やジュースなども買わなかった。

レジも相変わらずのすごい列。誰も文句も言わずふつうに並んでいた。

欧米人から見ると、こういうところが日本人のいいところらしい。っていうか普通でしょ?

他の売り場には行かなかったが、後日近所の人の話を聞くと、何店舗かは地震の被害でディスプレイが破損して休業しているらしかった。

輪番制の計画停電が発表された。総理大臣の会見も官房長官の話も聞いた。節電啓発大臣は本当にポストとして必要なのかな?という疑問はあったが、まあいいや。

こんな状況なので、計画停電は仕方がないと思った。

東京電力が発表したグループ分けを見ようとネットでアクセスするがなかなか繋がらない。

TwitterでPDFへの直接のリンクがあったので、最後の都道府県名のみを代えて埼玉県のリストを見る。どうもウチの地区は複数のグループに別れるらしいが、町名までの記載しかなく、何丁目がどのグループなのかが判らない。テレビで読み上げるリストの内容も同様で埒があかない。カミさんがヒステリックに、だからいったいいつ停電すんのよ!と言うのだが、それは誰にも判るはずもない。

きっと東京電力も一生懸命なんだけど、ここまでしかできなかったんだと、諦めるしかなかった。

明日は会社だ。早く寝ようと思った。

(つづく)

2011年3月13日日曜日

010:【記録】2011/03/12 帰宅までの道のり

まだ夜も明けぬ4時頃、再び大きな地震による揺れが起きる。

寝ていた者も起き出すほどの強い揺れ。

主だった者が応接室にあるTVの前に集まる。今度の震源地は長野?何故?

その後も長野や新潟を震源地とした地震が続く。その合間を縫うように、三陸沖や茨城沖、千葉東方沖を震源地とする地震が続く。少し落ち着いてきたかと思った矢先だ。

また10分を切る間隔での地震が続くが、東京まで届くほどの大きな地震は減りつつあるようだった。

都内の地下鉄は終夜運転していたが、心理的に地下に潜った鉄道には乗りたくないと残っていた人たち。JRが動くまで待っているつもりだったが、なかなか運転再開の情報が入ってこないため、しぶしぶ地下鉄に乗る決意をして、少し明るくなり始めた頃に帰宅の途についた。

TVにかじりついてJRの情報を待つ。

新幹線は始発から動くとのこと。ただし東海新幹線のみで、東北・上越・長野新幹線は動かない。神戸から出張で東京に来ていた先輩がネットで席を予約しようとするが、殆どが自由席で通常の指定席はなく、グリーンだけが予約可能な状態だった。背に腹は代えられないということで、グリーン指定席を予約。始発で帰るということであわただしく出て行った。

そのほかのJR在来線の運転再開の情報が入る。山手線以外は7時から運行、山手線は8時からということだった。

会社の最寄りは東京駅。駅にはたくさんの人が帰れないで一夜を過ごしているはず。近隣のオフィスビルも終夜灯りがついていたので、相当数の人たちがまだ帰宅できずに残っている。

東京国際フォーラムには4000人強の人たちが避難しているという。日比谷公園にも数千人。すぐに帰るのは難しそうだ。

帰宅に備えて、現在の会社の状況を確認する。

連絡が取れない者は数名まで絞られたようだ。それぞれの部署の責任者とこの地区の責任者との連絡手段を確認している。

放送でJRの運転再開見込みが伝えられた。すでに災害対策本部が設けられていて、それ以外の者は帰宅許可ではなく帰宅命令にて半強制的に自宅へと帰らせる方針となった。

会社の窓からJR東京駅を一望できるのが救いだった。

新幹線は6時過ぎからいち早く運転再開していた。7時を過ぎると中央線が予定通りに動き出した。東海道線のホームに人が溢れんばかりにいるのがわかるが、まだ東海道線が発車する気配はない。京浜東北線は南行き神奈川方面の電車が動き出したことを確認できた。

職場の同じ方面の者たちが固まって帰ることになった。

埼玉方面、つまり京浜東北線に乗る者は全部で5人いた。会社に備え付けてある個々人に配布された緊急時の持ち出し袋から必要な物を持って帰ろうと呼びかけた。水、懐中電灯とラジオ、手動で携帯を充電できる機械などをカバンに放り込む。

JR在来線が動き始めてから、東京駅へと向かう人々は後を絶たなかった。それほどの大人数ではなかったが、まばらな人たちが途絶えることなく東京駅へと向かっている。ボクらが東京駅に着いたのは午前9時半頃。丸の内南口の改札前にあるみどりの窓口と新幹線用の自動切符売り場に多くの人々が並んでいた。遠方から来た人がそれだけ多いということか。

改札を抜けるのはそれほど困難ではなかった。

京浜東北線と山手線が併走するホームに上がろうとしたが、階段の半ばまで人が溢れていた。順番にホームに上がり、乗り口の目印に沿ってきちんと並ぶ。

運転開始予定とされていた8時を約2時間ほど過ぎていたが、山手線はまだ動いていなかった。

最初にホームに到着した京浜東北線は南浦和行き。これには乗れなかった。車内はぎゅうぎゅう詰め、東京駅で降りる人は僅かで乗りたい人は溢れている状態だから、相当な時間並ぶことを覚悟した。

その次に来たのは東十条行き。せめて赤羽まで行ってくれればいいのにと思ったが、それにも乗ることは出来なかった。

次に来るのは大宮行き、しかも2本続けてくるらしい。

このどちらかに乗れれば全員家に帰れる。

一緒に並ぶ同僚と相談。5人全員は無理でも、女性を優先的に先に乗せようと意見が一致。無理矢理にでも押し込んで先に帰そう。

ホームにはゆっくりと電車が滑り込んでくる。凄まじい程の乗車率だからブレーキが効きづらいのだろう。乗っている人のことも考慮しているのかもしれない。

幸いにも5人全員同じ電車にのることが出来た。車内は多くの人がすし詰め状態。身動きできないのは当然だが、揺れに対して踏ん張る必要がないくらい混んでいる。

スピードはあまり出さないらしい。止まることを考えてのことだろう。

自宅の最寄り駅にたどり着くには、いつもよりも倍近くの時間を要するだろうと覚悟する。

神田でも多くの人がホームで待っていたが、降りる人が数名なので乗れる人はたかがしれていた。

秋葉原では総武線に乗りかえる人が多く、一旦は外に出なければならない。

ホームで待っていた人には申し訳ないが、それを押し退ける形で入り口付近をキープ。降りる人がいなくなったら一気に車両の中程まで乗り込んだ。

周りに同僚がいるか確認したが、一人ホームに取り残されてしまったらしい。

すでに多くの人が乗ろうとしているので引き返すことも出来ず、ここで別れることになる。先頭に並ぶ形になっていたので、次の電車にはきっと乗れるだろう。目で挨拶を送り、互いの無事の帰宅を祈る。

上野でも多くの人が乗り換える。

同僚の一人は大宮よりも先に行かねばならなかったが、高崎線に乗り換えずにこのまま京浜東北線で行けるところまで行くことにした。

田端を過ぎると降りる人の方が多くなってきたのか、混雑する車内に多少の余裕が出来たらしく、揺れに対してある程度踏ん張らないと身体を支えることが困難になってきた。片手で鞄を持ちつつ、手すりに手を伸ばして身体を支える。こういうときに力を入れて流れに逆らうと、余計に体力を消耗するだけなので、最低限の力で倒れないように身体を支える。それでもキツい。腕が千切れそうになるが、倒れないように踏ん張った。

赤羽でも多くの人が降りる。

座席に座っている人も降りるのだが、なかなか出口にたどり着くことが出来ない。「降りる人がまだいますよ!」と入り口に向かって大声で叫んだ。すでにホームにいた人たちが乗り込みつつあったが、何人かの人が呼応してくれて、無事に送り出すことができた。

川口、蕨と、降りる人が増える度に、入り口に向かって大声で降りる人がいることを伝える。狭い車内で身体を入れ替えることもままならない。

そんな中、隣に不必要に身体を踏ん張るサラリーマンの存在に気づく。

最初は目の前に子供か女性でもいるのかと思ったが、何かを守っている様子もない。

自分の体勢を支えるためにしては頑なに身体を押しつけてくるので、そいつがしていたヘッドフォンを勝手にはずし「何してんすか?」と一言。

睨まれたがこれでおとなしくなった。よしよし。

南浦和に着くと多くの人が降車する。これはいつものパターン。

だいぶ車内が空いてきた。ようやく釣り革を確保。鞄を棚に載せて一息つく。

手すりを掴んで身体を支えているときに腕力をかなり使ったらしく、握力がほとんどなかった。こりゃ明日は筋肉痛だな、いや年だから明後日か?

厚着のせいもあるが、かなり汗をかいていた。窓を少し開けて外の風を車内に取り込む。冷たい風が心地よかった。

浦和で1人、与野で1人、同僚が電車を降りていく。

ホント、お疲れ様でした。また月曜日に……

ん?

月曜日に会社に行けるのかまだわからんのにな。

大宮よりも先に行かねばならない同僚と別れの挨拶をして、ボクもさいたま新都心で降りる。すでに時計は12時を回っていた。

エスカレーターは止まっていて、しかも歩けないように封鎖されていた。エレベーターもあるが遠回りになるので階段を登る。

思った以上に体力を消耗したらしい。足が思うように上がらない。徹夜が堪えているのかな。少しだけでも寝ておけばよかったと、今更ながら反省。

改札を抜けるとまだ多くの人が帰宅できていないのか、大勢の人でごった返していた。さいたまスーパーアリーナも帰宅困難者向けに解放されていたようだから、これから帰る人も多いのだろう。

そんな人を見ながら駅のコンコースにあるベンチに座り、持ち帰った水を飲む。

メールでカミさんに駅に着いたと報告。帰り道にあるコンビニでっか買うものはないか?と訪ねておいた。

iPhoneを取り出して4sqでpost。これでTwitterの知り合いにはボクが帰宅しつつあることがわかってもらえるだろう。

しばし休憩のあと、重くなった身体に鞭を打ち、トボトボと歩き出す。

カミさんからメールの返事。多少の食料は買い出しをして確保したらしい。それでも心許ないのでやはりコンビニに寄ろうと決める。

iPhoneを見るとTwitterのリプが入っていた。やはり気づいてくれた人がいた。最後の一踏ん張りを頑張ろうと励みになる。

全員に個別に返事を返したかったが、握力がなくて思うようにいかない。申し訳なかったが、誰宛でもないpostでお礼を打った。

コンビニでもきっとカップ麺やレトルトは売り切れだろう、そう思って寄ったコンビニだったが、意外な程に商品が残っていて驚いた。客もまばら。大きなタワー型マンションの下にあるコンビニなのに。ひとまずカップヌードルを家族分だけ買った。後はタバコと肉まん。

肉まんを食べながら歩く。

水を飲む。

街の様子や行き交う人々の様子を窺うが、地震が起きる以前と何ら変わりのない日常がそこにある。

不思議な感覚だった。

それだけ実質的な被害が少なかったのだろう。

停電した様子も断水している雰囲気もない。

スーパーの前に差しかかった時だけ、そこに溢れかえる人の行列を見て、いつもと違う風景に出会った感じがした。

行きつけの床屋の前で、いつも髪を切ってくれるお兄ちゃんと会う。

「いま帰りですか?」と訪ねられたので、「帰宅困難者、ただいま帰りましたっ!」と敬礼しておどけて見せた。笑ってくれた。

家のドアを開けると、3歳の娘が出迎えてくれた。

「お父さん、遅かったよぉ〜。ユラユラ怖かったんだよ!」

ゴメンよ。でもやっと帰ってきたよ。お父さん、お仕事してて遅くなっちゃった。

少し遅めの昼飯にと、カミさんが作ってくれたオニギリを食べ、温かいコーヒーを飲んだ。

ソファーに座ったとたんに落ちた。夕方まで眠りこけた。

(おわり)

2011年3月11日金曜日

009:【記録】2011/3/11 東北地方太平洋沖地震について

最初はいつものことだと思ってたんだ。下から突き上げるような軽い振動があって「あぁ、また地震か」って。

それがいつまでたっても終わらなくて、ホントならそろそろ横揺れになっても良さそうなのに、縦揺れがどんどんひどくなっていく。

そのうち、会社から支給されている防災用のヘルメットを被り出す者がチラホラと出てきて、机の下に隠れだした。立ってるのも難しくなってきて、ボクも仕方なく仕事を中断して机の下へ。それでも揺れは止まない。

ここは30数階建てのビルの12階。それほど高い位置ではない。

2005年にできた比較的新しいビルで、免震だか耐震だかの構造になっているということらしい。だから地震のエネルギーを分散するために余計に揺れるように出来ているのか。

後付の壁や天井がギシギシと鳴る。

可動式のキャビネが左右に揺れる。

窓際のブラインドがガシャガシャと音を立てる。

こんな激しい揺れは生まれて初めてだ。そのうち明らかにビルの柱だと思われる箇所から低く鈍い軋む音が漏れ出す。「このままビルが崩れたら、どうなるんだ?」そんなことを考えていた。

立てないくらいの激しい揺れが、たぶん2分以上は続いたと思う。

少し揺れがおさまってきて、ようやく落ち着いて我に返って最初に思ったのは、家族の安否。

携帯でカミさんに電話するが、通話ボタンを押した途端に画面には「切断中」という文字が。docomoは駄目だ。会社の電話から外線で家の固定電話にかけてみる。これもダメ。仕方がないのでiPhoneを取り出す。iPhoneはふだんは通話には使わないので、電話のかけ方すらおぼつかない。電話のアイコンはフォルダの中にしまったままだ。一先ずカミさんの携帯にかけてみるが繋がらない。自宅の固定電話にかけてみるが、これもダメ。通話は諦め、iモードのメールでカミさんに連絡を取る。

「こちらは無事。そっちはどう?子供たちは一緒?」

短い文章で済まし、さっさと送信。

しばらく待つ……。

携帯がブルブルっと震える。

画面を見るとメールじゃなくて電話だ。カミさんと話す。自宅もだいぶ揺れたらしい。子供も無事。そうか、よかった。

応接室のTVの前に人が集まっている。

電話は使い物にならないが、PCとネットは使えるみたい。ひとまず自席のPCを使ってYahoo!で確認。震源地は三陸沖?震度7?鹿児島まで揺れたって?なんだそりゃ。

TVを見に行く。津波の危険性あり、高さ6m以上?全てが常識の範疇を超えていた。

会社からは帰宅許可命令。

早々に帰宅を決めた人たちは駅に向かい、電車に乗ることができず戻ってくる者もいる。妊娠中の後輩はタクシーで帰ると言って出て行ったが、無事にタクシーを捕まえることができたのだろうか。関西方面から東京に来ている出張者は半ば諦めムードだ。

東北地方への出張者と連絡が取れない。

その後も余震は続く。そのたびに小さな悲鳴が聞こえる。最初の地震が一番大きかったが、立っていられないほどの余震も2~3度あった。10分間隔で突き上げるような振動だったり、目眩のような揺れを感じる。

腹が減った。賞味期限切れの乾パンがあった。乾パンに賞味もクソもない。期限内だって美味いはずがないから。そいつを口に放り込んでコーヒーで流す。

電車が止まっているので帰りたくても帰れない。

Googleの地図で会社と自宅の距離と徒歩での道のりを確認。約30km、所要時間6時間弱。帰れなくはないが、帰りたいのはボクだけじゃない。

とりあえずビルの管理会社にインフラの状況を確認。

電気・水・空調は大丈夫。ビルに残った方が安全、このまま帰宅させずになるべく社内に残す方向に針が傾く。

会議室やホールは女性社員に優先的に提供。非常用の毛布を配る。別の者はコンビニに走り、食料を確保してきた。

安全確認も一段落したので実家へ電話するが、相変わらず通じない。カミさんとはメールでやりとり出来ている。実家のオヤジにメールの仕方を教えておくべきだったと悔やむ。

TVで気仙沼市の津波の映像を見た。あまりの凄まじさ。

船と一緒に車や家屋が流されている。

千葉の石油コンビナートは燃えている。

仙台空港は水浸し。

福島の原発がヤバいらしい。

東京の状況とギャップがありすぎる。こちらはまだいい方だ。

携帯が鳴る。オヤジからだ。互いの無事を確認。ほどなく関西の弟からも電話。心配ないと伝える。

Twitterで流れてくる情報を確認する。

阪神大震災を経験している方々の有用な情報はカミさんにメールで伝える。

怖いから近所のお宅にお邪魔して一緒にいるらしい。子供たちは興奮気味でなかなか寝ないという。余震がまだ続いているから、寝ようにも寝れないのだろう。可哀想に。飛んで帰りたい。

新幹線が動き出した。

関西方面の出張者たちは東京駅へと消えていった。戻ってこないところをみると、無事に乗れたのだろう。

徒歩で帰ったものたちからも無事帰宅の連絡が入る。もう深夜だ。お疲れさん。

各地で停電。サーバーがヤバいらしい。

無停電電源装置用の重油が確保できたと連絡が入る。一先ず一日以上は稼働できる、電気が切れる前に停止させるから安心していいと言われるが、人の生き死にとは関係ない、たかがサーバーの一つや二つが停まろうが、もうどうでもよかった。

職場でも席に座ったまま、机に突っ伏して眠る者が増えてきた。

ボクも誰かが買ってきた発泡酒とハイボールを飲む。つまみは乾パン。酔えない。

夜半過ぎから都営・東京メトロ・私鉄は動き始めたようだ。終夜運転するらしい。

各地の停電も徐々に回復。サーバーの停止は必要なくなったらしく、対応要員で帰れる者は帰っていった。

寝れそうもないので、こんなものを書いてみた。

とても誰かの役に立つような情報ではない。それは解りきっている。

申し訳ないが、記録として書いてみただけ。

(おわり)

2011年3月10日木曜日

008:ボクラの音楽!の巻#2

小学生の時は邦楽中心だった嗜好も中学に入るとちょっと色気づいちゃって、生意気にも洋楽聴くようになる。

土曜日の深夜にテレ朝でやってた「小林克也のベストヒットUSA」の影響。

世はまさに80年代前半、MTVの創生期になるのかな。

録音したカセットをどこで聴くのかっつーと、たいていは部屋のラジカセでなんだけど、親と出かけるときに車の中で聴いたりもしたな。

それを屋外に、しかも徒歩や電車などの移動の最中へと持ち出したのが、ソニーのWalkmanだった。

カセットテープのケースと同じ大きさになるってのが売りの三代目だか四代目のWalkmanを買って使ってたんだけど、有頂天だったね。

本当は一世を風靡した二代目のアシンメトリーなボディデザインに惹かれていたんだけどもう売ってなかった。

それでもボクの買ったWalkmanmo単三乾電池一本で動く魔法の箱だったさ。

録り貯めた好きな音楽をいつでもどこでも持ち出せるってのが、最大にして最高の魅力でさ。

当時はレンタルでレコード借りて、それをカセットに落とすんだけど、ノーマルとかクロームとかメタルってテープの種類もいろいろあってさ。お小遣いの範疇でどれだけ音楽に金を注ぎ込んだことか。

その後、ロックからハードロックへ、そしてヘビーメタルへと傾倒してって、大音量で自分の世界にドップリ入ってくのが好きだった。部屋のラジカセで聴くわけにはいかなかったからね。外に出てヘッドフォンして歩きながら大音量で聴くのも、すんごい危険なんだけど。

予備校通ってるときは録音できるWalkmanに買い換えたりしてね。後で聞き返したりする事も稀なのにわざわざ録音したりしてさ。重宝してましたよ、カセットWalkman。

通勤電車の中でイヤフォンしてる人はみな音楽聴いてるんだと思うんだけど、今では保存するメディアの形式こそ違えど、最初はWalkmanから始まった一大ムーブメントだと思っている。

歴史的に正しいかどうかの検証はしてないけど、少なくともボクの中ではWalkmanは歴史を変えた偉大な製品の一つなんだ。

そう、そうなんだよ。

(つづく)

2011年3月9日水曜日

007:ボクラの音楽!の巻#1

前回の充電の話の続きでガジェットの事を語ろうと思ったんだけど、

【旧】煩悩の赴くままに: 006:バッテリーとか充電とか……の巻
これが前回のバッテリーとか充電とかに関する話。というか結局はバッテリーの問題でiPhoneでなんでもしようとは思わないって話かな。

どっちかつーと完全に導入部分は音楽の話になっちゃいそうだな、こりゃ。


ってな感じで今日は音楽プレーヤーの話。

なんでiPhoneで音楽聴かないのか?って理由を思い起こすのには、かなり昔にさかのぼることになっちゃう。これだけでかなり語れると思うよ。だてに40年以上も生きてないからね。

かなり古い話になるけど、ボクの最初に出会った音楽プレーヤーってのが所謂「ラジカセ」ね。

ラジカセってのは、ラジオとカセットデッキが一緒になったヤツ。モノラルスピーカーで、オートリバース(最近の人、わかる?)なんかまだまだついてない、ラジオもAMしか入らない。

夏休みのラジオ体操用に親が買ったナショナルだかテクニクス(いずれにしても今のパナソニック)のラジカセね。

これを使って土日の文化放送のベストテン番組で当時流行った歌謡曲をエアチェックすんの。

「井上順のロッテ歌謡紅白ベストテン」とか「森田公一の青春ベストテン」とか「小川徹也の全日本歌謡選抜」とかね。

カセットに録音するんだけど「ガッチャン!」てな感じで再生と録音のデカいボタンを押してさ。松田聖子や田原俊彦が出始めた頃かな。かなり古いでしょ。

ラジオを録音するときは外部の音が入らないんだけどさ、テレビの音を録音するときはテレビのスピーカーの近くにラジカセ置いて、家族にしゃべっちゃダメだ!なんていったりしてね。そうやってアニソン録音したりしてな。しばらくたってからラインつなぐっていう知恵がついてそんな心配も無用になるんだけどね。

中学にあがる直前に貯めたお年玉で自分専用のラジカセ買った。ダブルデッキでオートリバース付き、スピーカーを分離してミニコンポっぽくできるナショナルの製品だったかな。結構デカいヤツ。

そこで土曜日の夕方にFMでやってた高島忠夫のベストテン番組をエアチェックして衝撃受けたね。

だって、イントロ途中まで「今週の第○位は......」的なコメントをギリギリまで言うのがそれまでの常識だったんだけど、ちゃんとイントロ前にコメントが終わって、しかも「それでは続けて3曲、どうぞ」ってな感じで、いっぺんに録音できちゃうし、曲と曲の間も何気にフェードアウトしたりしてさ。録音するのが楽だった。

最初はアイドルの曲ばかりだったんだけど、フォーク崩れのニューミュージックが流行りだしてさ。それに傾倒してって、オフコースのアルバムとか何枚か買ったな。まだCDじゃないからね、レコードだから。EPとかLPとか。シングルレコードのことをドーナツ盤なんて呼んでたもんなぁ。


レコードをカセットに録音するのには、レコードプレーヤーが必要になる。

オヤジのステレオを拝借してさ、友達と貸し借りしたアルバムをカセットに落とすんだ。

でもね、今じゃ考えられないけど、ブチブチと雑音が入るんだよ。

静電気でレコードに埃が着いちゃうから。スプレー状のクリーナーでキレイにしてから録音という厳かな儀式に臨んだものだよ。

それでもレコードに傷が着いてると飛んじゃうからさ、プレーヤーのヘッドに一円玉を何枚か重しで乗せたりして。

昔のアルバムってさ、46分テープにちょうど収まる長さだったんだよね。だいたい収録されているのは10曲くらいだったかな。

……とまぁ、まだまだ先は長くなりそうだ。

すまんがこの音楽回顧録、しばらく続くよ。

(つづく)

2011年3月8日火曜日

006:バッテリーとか充電とか……の巻

バッテリーの話。

このテーマを語り出すと、恐らく結構長くなるよ。

一回じゃ終わらないかもしれないから、数回に分けてでも思いの丈を語り尽くそう。そんな大層な内容でもないけどね。

あ、ちなみにBattery!っつっても、METALLICAとかの話しではないからね!って誰も思わねーっ!!


電化製品が家庭の据え置き型から持ち出し可能な携行品と化した最初って、ボクの人生の中ではラジカセがWalkmanになったのが最初の製品だと記憶してるんだけど、こいつを持ち歩き始めてから充電の悩みが同時にスタートしたって思ってる。

そりゃ〜充電池か乾電池使ってるんだから、いつかは充電したり電池交換しなきゃならないときがくるんだけど、その終わりが突然訪れてしまって不幸にならないように多少の余裕を以て備えるのが世の常じゃない?

そこに神経使うのが面倒でね。できれば充電の心配なしに日々を平穏無事に過ごしたいわけですよ。

だから、いつもオプション品込みで買い物しちゃう癖がある。

充電池もう一個買い足しちゃうとか、乾電池ケースとか、大容量バッテリーとか。試しもせずに最初からいらぬ心配して買い足しちゃうもんだから、散財すること間違いなし。

あと、いろんな欲求を満たすマルチな製品が重宝されてると思うんだけど、iPhoneも音楽聞いて電話してネットみてメール読んでゲームしてTwitterしてとか、そんなことしてると電池が持たないんだよね。何でもできればそれ一つ持ち歩くだけで荷物も小さくなって良いんだけど、肝心なときに電池切れになったりしてさ。

だからカバーというかケース?は充電用の補助電源付きのヤツにして、重たくなってもガワが大きくなってもそれで使ってる。

それでもTwitterやってるだけで電池の消費がハンパない。通信してるからしょうがないんだろうけど。

だからiPhoneには多くを求めないようにしてる。

まぁ他にも理由があるんだけど、最初は「iPhoneは万能だ!」と思ってたけど、それが幻想だったってすぐに気がついた。一長一短というか。

iPhoneは電話としても使わないし、音楽プレーヤーとしても使わない。ゲームもやらないよ。

ネットに繋がる小さな小箱でさえあればいいんだ。

何でもかんでもこの小箱に詰め込めりゃぁ確かにとても素敵なことなんだけど、全てのクオリティで一番を目指すのは無理があるかな。電源と質、難しい問題だな。

結局のところ、バッテリーが発端となって理想を追い求めるのは止めたんだ。それぞれの特性を活かすためには、多少の重さは忍耐すべしってね。充電切れのリスク分散の意味もあるし。

そんなお話は、たぶんいろいろ派生する危険性を孕んでいるんで、たぶん、まだまだ続くよ。

(おわり)

2011年3月7日月曜日

005:電子書籍!の巻

先日RSSをチェックしていたら、こんなニュースを見た。

eBookJapan、講談社コミック約7000冊をiPhone/iPadから閲覧可能に - ITmedia eBook USER

今日もやや遅れて別方面から同じような記事が。

講談社コミック約7000冊をiPad/iPhone向けに配信 - ニュース:ITpro

電子書籍全体として形式が乱立する群雄割拠の時代を迎えているから、小説とかテキスト中心のコンテンツだと「ePub形式はまだ日本語対応(縦書きやルビ)していないからダメだ」とか「シャープのXMDFなんかは専用端末になっちゃう」だとか言われてるじゃない(言われてない?)。

Googleのキンドルとかもあるしさ、iPadやiPhone用アプリだっていろいろ出てて目移りしちゃうじゃない。

だから、漫画や雑誌をPDFで提供する方式が一先ずのスタンダードになるんじゃないかなんて予想した辛口の人も多いんじゃない?ん、当たり前か。だいぶ以前からあるしね。

だからボクもiPadの使い道で電子書籍をやってみるって時に、最初に漫画に走ったわけさ。

前述の3/4付や3/7付のニュースはeBookJapanというサイトで販売する電子書籍のコンテンツが増えたという話しで、以前からこのサイトはチェックしてた。っていうか無料だからってだけでアプリは早々にダウンロード済みで一回も起動していなかったという体たらく(トホホ)。というのも、読みたいコンテンツ(漫画)が少ないのがネックになってたんだよね。

ジャンプ作品など無料公開へ 赤松健「Jコミ」、集英社や講談社も協力 - ITmedia News

前回は昨年末にこの記事読んでたから、「ラブひな」を無料でダウンロードって話しになっていたんだけど、絶版になっている漫画を復活させる計画ってことでまだコンテンツが少なくて、でもいろいろ試行錯誤しているボクにとってはうってつけだったから、Jコミさんにお世話になりつつ、iPadの活用方法を試してるところ。

そんな時にeBookJapanのニュースが飛び込んできたので、まずはどんな作品があるか覗いてみようと思ったのも束の間、以前から買いなおしてでも読みたい作品ベスト10(2011年3月現在、オレの心の中ランキング)の上位にランクインしている「寄生獣」があるっていうじゃない!

......買ったね。ソッコー買いました。全10巻セット4,200円。またお金使っちゃったよ。飲みに行く回数、調整しなきゃ。歓送迎会が多いこの時期は厳しいんだけどね。ツライね、お小遣い制は。

まだ1巻読んだところだけど、やっぱ面白いね「寄生獣」。学生の頃に部室においてあった誰かの単行本読んですぐにハマって、単行本買い始めたんだよ。その後結婚を機会に漫画本処分する際に泣く泣くBookoffに売っちゃったんだけど、数年前に愛蔵版が出てたから買いなおそうと思ってたくらい好きな漫画なんだよね。いいよ、これオススメ。

あと他にもヤバそうな漫画がゴロゴロしてるんだよね。危険極まりないぞ、こりゃあ。ガイバーとかさ。ビックコミックスピリッツも充実しだしたりした日にゃ......。

でも、小学館さん、よろしくね!軽井沢シンドロームやメゾン一刻なんぞをば……。

(おわり)

2011年3月6日日曜日

004:iPadの使い道?の巻

iPad2が出るね。

更に薄く軽くなってCPU性能も上がって値段は据え置きなんだから、まだ持ってない人はもちろん、初代iPad持ってる人も欲しくなっちゃうよね。

欲望にはきりがないっていうかさ。

ボクはiPad使い始めて8ヶ月くらいになるのかな。まだまだ使ってる感じではなく、ただ持ってるだけ、持ち歩いてるだけっていった方がいいかも。カバンが重たくなるだけで、全然使いこなせてない。

Twitterやろうと思ってたんだけど、iPadでやるもんじゃないと早々に気づいた。画面に表示される文字がデカいから覗かれちゃうんだよね。カミさんの悪口やくだらないこと呟いてる時に後ろから覗かれたら......。ゴルゴ13みたいに「オレの後ろに立つんじゃない!!」ってなこと言っちゃったりして。

家で寝っ転がってメールのチェックしたり、Safariでネット見たり、RSS消化したりするのは良いんだけど、無線LAN環境下だから良いのであって、外出した通勤電車の中でやると、結局iPhoneでやるのと大差なくなっちゃうんだよねぇ、画面がデカいだけで。

iPadを何に使うのかって考えないで興味本位だけで買っちゃったから、何かに使えないかと思案した結果、やはり読書しかないのかな?という結論に至った。

ボクのiPhoneは3GSだから解像度は大したことなくて、本やマンガは読みづらい。特にネットで買ったPDFを見ると、字が小さすぎていちいち拡大表示しなきゃなんなくなっちゃうから、使い勝手が途端に悪くなる。だったらiPad使うしかないっしょ。画面のデカさを活かせるし、i文庫HDっていう優れたアプリがあるんだから。

ということで、無料のラブひなをダウンロードしたり、インプレスで買った本の電子版をダウンロードしたりして、早速軽く読んでみた。

なかなかいいじゃない。

電車の中でも、座席に座れさえすれば、じっくり読書できんじゃね?電車でラブひなってのもこっぱずかしいけどな。

ということで、明日からまたカバンにiPad忍ばせて、せっせと筋トレに励むことにしよう。電車で座れることを祈りつつね。

まぁ、読書するだけだったら、その後に出た各種電子書籍リーダーでも事足りるから、あんまり意味ないのかもしれないけどね。

でも、iPad使ってるっていう実績作らないと、iPad2買えないじゃん。

初代は家に置いといて家族用にしてさ、新しいのは......、ムフフ。

(おわり)

2011年3月5日土曜日

003:招くの巻

友人家族を招いて、久々に鍋を囲んだ。本当は年末に集まる予定だったのだが、ボクの予定だけが合わず、忘年会でも新年会でもないこんな時期になってしまった。

今度の春に四年生になる友人の息子は、我が家に着くなりリュックからガンプラを取り出して「おじさん、見て見て!ひとりで作ったんだよ!」と、マスターグレードのキュベレイ2を見せてくれた。対象年齢が確か15歳以上のプラモにも関わらず、よくできていた。

一年前までは、戦隊もののロボットの超合金を持ってきていたのだが、親戚の叔父さんの影響で今はガンダムにハマってるらしい。

随分と大人っぽくなったもんだと一瞬感慨にふけった後、おもむろにボクの部屋にその小さな友人を招き入れて、ボクの作ったガンダムシリーズのプラモデルを披露した。

それだけで羨望のまなざしだ。

一つ一つ手に取りながら解説してあげると、彼は一言も逃さないよう真剣に耳を傾けてくれた。

その後、買い漁ったガンダム関連のモビルスーツ解説本を渡すと、まだ習っていないであろう漢字があるにも関わらず、一心不乱に読み込んでいた。負けじとボクの息子もその本を横からのぞき込むように見ていた。

ビールをしこたま飲み鍋を食べて、みんなでWiiスポーツリゾートで遊び、さっき友人家族はバスに乗って帰って行った。

そんな充実した休日だった。

(おわり)

2011年3月4日金曜日

002:怒るっ!の巻

とある下請会社との打合せがあった。

その会社の窓口担当は、実はボクと同じ会社に同時に入社した同期で、いまはその下請に出向している。

ビジネス的な関係ではボクが発注元で彼が受注先という序列がついてしまうのだが、内実は一緒に仕事している時間も長いし同期で仲もいいし、お互いを認め合っているから序列なんてものは存在せず、お互いに同列だって思っていると思ってた。

その彼が悩みを打ち明けてきた。

契約にない過剰なサービスをしてしまったが故に、その出向先のメンバーから疎まれていると悩んでいた。

内容を聞いたら、彼は彼の良心や信条に基づきやるべきと判断したからやったことだった。休日を潰してまで、客先や出向先の事を考えてしたことだった。

それはサービスを享受した側にも喜ばれた。

そのサービスによってコストが嵩んで利益が減ることもなく、逆に間接的に僅かではあるが売上にも多少なりとも貢献できていた。

彼は満足だった。

そりゃそうだ。ボクでもそう思う。

ところが、彼の出向先のメンバーはそう思っていなかった。

目立ちやがってというヤッカミではなく、「余計な事しやがって」という理由だった。

その真意は、「お前がそんな事すると、俺らまでやらなきゃなんなくなるじゃねーか!」ってことらしい。

おいおい、ちょっと待て。

言い方は悪いかもしれないが、そういう気遣いというサービスがあったればこそ、お前らの会社にわざわざ発注してるんじゃねーかと。

しかも、勝手なサービスされても、その分予定外なお金もキチンと払ってるじゃねーかと。

そのせいで、ボクの仲のいい大切な同期がいわれなきプレッシャーを感じているということに憤りを感じた。感じてしまった。

契約に書いてあることしかやらないような会社であれば、こちらから願い下げだっちゅーの。

いつから、そんな世知辛い世の中になってしまったんだと。形式的なおざなりな対応しかデキない社会になってしまったんだと。情けなかった。

ここで披露する事ではないかもしれないが、ボクにとっては衝撃的な出来事だったので、記録としてここに記しておこうと思う。

始めたばかりのブログでこんな説教じみたこたぁ言いたかなかったが、ネガティブな記録として残しておこうと思う。

(おわり)

2011年3月3日木曜日

001:ブログ始めるの巻

シゴタノ!で、ごりゅごさんの記事を読んで始めてみた。

ネタ元はこれ。

シゴタノ! アウトプットできないとお悩みの方に送る、たった一つのだいたいな方法
こちらをたまたま観てしまったのが運の尽き......。





タイトルも最初から自信なさ気だよ、トホホ。なんだよ、「煩悩の赴くままに」ってのは(笑)。

ちょうどTumblrの使い道がわからなくなってきて途方にくれてたから、捨てる神あれば拾う神ありってところだな。

はてさて毎日続けられるのか、とび石連休並にブレブレになっちゃうのか。

一応タイトル(?)に連番も振ることにしてみた。

少し控えめに3桁ね。まずは100回を目標にするといいらしい。

1日ずつ毎日更新で100日って、結構大変だよ。Twitterのようにはいかないよね。

何を書くかなぁ。なんとな〜く気晴らしになるようなことでいいと思うんだよ。くだらなくてもさ。誰に見せるわけでもないんだ。

といいつつ、Twitterに自動postできるか試してみちゃったりしてるんだけど。

これはGmailからの投稿。果たしてうまくいくのかなぁ。