【当ブログの説明】

こちらは、かつてPosterousというミニブログサービス上で運営されていた「ほぼ日刊ひろさの」及び「煩悩の赴くままに」というコンテンツを再生することだけを目的に開設されたブログになります。
全部で400近いエピソードが収録されておりますが、2011年3月から2012年10月までに書かれたエントリーですので、かなり古い情報も含まれておりますことをご了承願います。

2011年3月11日金曜日

009:【記録】2011/3/11 東北地方太平洋沖地震について

最初はいつものことだと思ってたんだ。下から突き上げるような軽い振動があって「あぁ、また地震か」って。

それがいつまでたっても終わらなくて、ホントならそろそろ横揺れになっても良さそうなのに、縦揺れがどんどんひどくなっていく。

そのうち、会社から支給されている防災用のヘルメットを被り出す者がチラホラと出てきて、机の下に隠れだした。立ってるのも難しくなってきて、ボクも仕方なく仕事を中断して机の下へ。それでも揺れは止まない。

ここは30数階建てのビルの12階。それほど高い位置ではない。

2005年にできた比較的新しいビルで、免震だか耐震だかの構造になっているということらしい。だから地震のエネルギーを分散するために余計に揺れるように出来ているのか。

後付の壁や天井がギシギシと鳴る。

可動式のキャビネが左右に揺れる。

窓際のブラインドがガシャガシャと音を立てる。

こんな激しい揺れは生まれて初めてだ。そのうち明らかにビルの柱だと思われる箇所から低く鈍い軋む音が漏れ出す。「このままビルが崩れたら、どうなるんだ?」そんなことを考えていた。

立てないくらいの激しい揺れが、たぶん2分以上は続いたと思う。

少し揺れがおさまってきて、ようやく落ち着いて我に返って最初に思ったのは、家族の安否。

携帯でカミさんに電話するが、通話ボタンを押した途端に画面には「切断中」という文字が。docomoは駄目だ。会社の電話から外線で家の固定電話にかけてみる。これもダメ。仕方がないのでiPhoneを取り出す。iPhoneはふだんは通話には使わないので、電話のかけ方すらおぼつかない。電話のアイコンはフォルダの中にしまったままだ。一先ずカミさんの携帯にかけてみるが繋がらない。自宅の固定電話にかけてみるが、これもダメ。通話は諦め、iモードのメールでカミさんに連絡を取る。

「こちらは無事。そっちはどう?子供たちは一緒?」

短い文章で済まし、さっさと送信。

しばらく待つ……。

携帯がブルブルっと震える。

画面を見るとメールじゃなくて電話だ。カミさんと話す。自宅もだいぶ揺れたらしい。子供も無事。そうか、よかった。

応接室のTVの前に人が集まっている。

電話は使い物にならないが、PCとネットは使えるみたい。ひとまず自席のPCを使ってYahoo!で確認。震源地は三陸沖?震度7?鹿児島まで揺れたって?なんだそりゃ。

TVを見に行く。津波の危険性あり、高さ6m以上?全てが常識の範疇を超えていた。

会社からは帰宅許可命令。

早々に帰宅を決めた人たちは駅に向かい、電車に乗ることができず戻ってくる者もいる。妊娠中の後輩はタクシーで帰ると言って出て行ったが、無事にタクシーを捕まえることができたのだろうか。関西方面から東京に来ている出張者は半ば諦めムードだ。

東北地方への出張者と連絡が取れない。

その後も余震は続く。そのたびに小さな悲鳴が聞こえる。最初の地震が一番大きかったが、立っていられないほどの余震も2~3度あった。10分間隔で突き上げるような振動だったり、目眩のような揺れを感じる。

腹が減った。賞味期限切れの乾パンがあった。乾パンに賞味もクソもない。期限内だって美味いはずがないから。そいつを口に放り込んでコーヒーで流す。

電車が止まっているので帰りたくても帰れない。

Googleの地図で会社と自宅の距離と徒歩での道のりを確認。約30km、所要時間6時間弱。帰れなくはないが、帰りたいのはボクだけじゃない。

とりあえずビルの管理会社にインフラの状況を確認。

電気・水・空調は大丈夫。ビルに残った方が安全、このまま帰宅させずになるべく社内に残す方向に針が傾く。

会議室やホールは女性社員に優先的に提供。非常用の毛布を配る。別の者はコンビニに走り、食料を確保してきた。

安全確認も一段落したので実家へ電話するが、相変わらず通じない。カミさんとはメールでやりとり出来ている。実家のオヤジにメールの仕方を教えておくべきだったと悔やむ。

TVで気仙沼市の津波の映像を見た。あまりの凄まじさ。

船と一緒に車や家屋が流されている。

千葉の石油コンビナートは燃えている。

仙台空港は水浸し。

福島の原発がヤバいらしい。

東京の状況とギャップがありすぎる。こちらはまだいい方だ。

携帯が鳴る。オヤジからだ。互いの無事を確認。ほどなく関西の弟からも電話。心配ないと伝える。

Twitterで流れてくる情報を確認する。

阪神大震災を経験している方々の有用な情報はカミさんにメールで伝える。

怖いから近所のお宅にお邪魔して一緒にいるらしい。子供たちは興奮気味でなかなか寝ないという。余震がまだ続いているから、寝ようにも寝れないのだろう。可哀想に。飛んで帰りたい。

新幹線が動き出した。

関西方面の出張者たちは東京駅へと消えていった。戻ってこないところをみると、無事に乗れたのだろう。

徒歩で帰ったものたちからも無事帰宅の連絡が入る。もう深夜だ。お疲れさん。

各地で停電。サーバーがヤバいらしい。

無停電電源装置用の重油が確保できたと連絡が入る。一先ず一日以上は稼働できる、電気が切れる前に停止させるから安心していいと言われるが、人の生き死にとは関係ない、たかがサーバーの一つや二つが停まろうが、もうどうでもよかった。

職場でも席に座ったまま、机に突っ伏して眠る者が増えてきた。

ボクも誰かが買ってきた発泡酒とハイボールを飲む。つまみは乾パン。酔えない。

夜半過ぎから都営・東京メトロ・私鉄は動き始めたようだ。終夜運転するらしい。

各地の停電も徐々に回復。サーバーの停止は必要なくなったらしく、対応要員で帰れる者は帰っていった。

寝れそうもないので、こんなものを書いてみた。

とても誰かの役に立つような情報ではない。それは解りきっている。

申し訳ないが、記録として書いてみただけ。

(おわり)

0 件のコメント:

コメントを投稿