何か回想録みたいになってきちゃったけど、この話って面白い?
面白くなくてもまだまだ続けちゃうよ!ゴメンね!
夏合宿も終わり、最初のバンドはギターのヤツが限界感じて半年ほどで勝手に脱退して(早っ!)、後任のギタリストを同級生の他のバンドから探してきて再スタート。
秋の学園祭には出られる程度に少しだけ成長してた。ギターが代わったのが大きかったかな。最初のギターは下手くそでわがままなヤツだった。友達としてはいいヤツだったんだけどね。方向性も多少他のメンバーとは違ってたかな。
致命的だったのは、音を作れなかったんだよね。ギターもベースもキーボードもそうなんだけど、有名な曲のコピーするときには、当たり前だけど楽器が出す音もコピーしなきゃなんないのよ。
ギターだとエフェクターってのを使ってさ。BOSSのコンパクトエフェクターを何台も繋ぐの。コーラスだとかディストーションだとかディレイだとか。椎名林檎の「丸の内サディスティクス」って曲にも出てくるRATTのディストーションがいい音でね。みんな使ってた。オーバードライブは好き嫌いが別れてたな。ボクは好きだったよ、BOSSのTurbo Over Drive、黄色いヤツ。
今はマルチエフェクターが当たり前なんでしょ。箱一つでいろんな音出せるんだから凄いよね。社会人になってからチェンジペダルと一体になった安いマルチエフェクター買ったけど、すごかった。値段の割にいろんな効果がついてて。Auto Wowなんかもついてんのね。
そんなエフェクター使って、それぞれのつまみ回して音を作るんだけど、最初のギターは持ってるエフェクターの数も少ないし、音がいい加減だし。ペラペラに薄っぺらだったんだ。
だからダメだったんだと思う。
バンドの方はまともなギターに代わって、でも相変わらずサザンオールスターズのコピーやってた。「怪物くんの夜」とか「メリケン情緒は涙のカラー」とか。アルバム「鎌倉」が出た頃だっつーことだね。歳がバレるな。
そんなバンド生活に慣れてきた頃には、ボクも余裕が出てきてバンド掛け持ちし始めて、女の子がボーカルのバンドに下心満載積載量オーバー気味でベースで参加したりしてさ。レベッカのバンドだったかな。「Maybe Tomorrow」なんてゆっくりな曲なんだけど、結構ベースは難しかったのよ、ホントに。まだ「Friends」の方がノリと勢いでどうにかなったもん。シットリした曲は逆に難しいってこった。
そういえば、中森明菜の曲もやったな。
ボーカルの女の子とどうにかなりたくて手伝ったんだけど、その後部活にこなくなっちゃってね。手を出す前だったのに。ライブ一回こっきりでオサラバよ。その後学内でもあまり見かけることはなかったなぁ。ま、いいか。
そんな浮気もしながら、メインのバンドははサザンのコピーはやめてオリジナルの曲作りだした。「GERO×2(ゲロゲロって読む)」っていうバンド。で、あとはFENCE OF DIFENCEのコピーバンド「non-stAndard」ってバンドのボーカルを掛け持ちでやってた。ちょろちょろサイドギターっぽい事もしながら歌うのさ。難しいんだぜ、ギター引きながら歌うの。リフ刻むくらいが関の山さ。
メインのバンドでオリジナルの曲作ってたって言ったけど、オリジナルの曲作るってのは、イカ天が全盛期だったからだね。
知らない?「イカすバンド天国」って土曜の深夜にやってた三宅裕司とYOUが司会やってた番組。フライングキッズ、ビギン、たま、このあたりのバンドがこの番組で10週勝ち抜いてデビューしたんだよ。お笑いスター誕生みたいなもんさ......。だいぶ違う?あら、そう。
その「イカ天」の影響で自分たちで曲作って作詞して、いつか出演するんだって頑張ってたのよ。もちろん応募すらせずにその番組も終わっちゃうんだけどね。
そんなオリジナル曲をそのままライブとか学園祭で人に聴かせてたんだもんな。穴があったら入りたい気分だよ、今は。
曲のクオリティーはそれなりに高かったと思うんだ(ホント?)。でも作詞がね、これがすんごく難しい。歌詞考えてても、こっぱずかしいんだ、これが。たぶんBOOWYとかの影響だと思うんだけどさ、基本は日本語の歌詞なんだけど、やたら歌詞に英単語が混じるんだよね。「揺れる心のMotion」とか、「何のあてもなくTurn on TV」とか......。
キャーキャー!恥ずかしいっ!
何の歌なんだっつーの。ふつうに「テレビつける」って言えってーの!
あー、書いてて汗かいたわ。ふーっ!
(おわり)
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