【当ブログの説明】

こちらは、かつてPosterousというミニブログサービス上で運営されていた「ほぼ日刊ひろさの」及び「煩悩の赴くままに」というコンテンツを再生することだけを目的に開設されたブログになります。
全部で400近いエピソードが収録されておりますが、2011年3月から2012年10月までに書かれたエントリーですので、かなり古い情報も含まれておりますことをご了承願います。

2011年3月13日日曜日

010:【記録】2011/03/12 帰宅までの道のり

まだ夜も明けぬ4時頃、再び大きな地震による揺れが起きる。

寝ていた者も起き出すほどの強い揺れ。

主だった者が応接室にあるTVの前に集まる。今度の震源地は長野?何故?

その後も長野や新潟を震源地とした地震が続く。その合間を縫うように、三陸沖や茨城沖、千葉東方沖を震源地とする地震が続く。少し落ち着いてきたかと思った矢先だ。

また10分を切る間隔での地震が続くが、東京まで届くほどの大きな地震は減りつつあるようだった。

都内の地下鉄は終夜運転していたが、心理的に地下に潜った鉄道には乗りたくないと残っていた人たち。JRが動くまで待っているつもりだったが、なかなか運転再開の情報が入ってこないため、しぶしぶ地下鉄に乗る決意をして、少し明るくなり始めた頃に帰宅の途についた。

TVにかじりついてJRの情報を待つ。

新幹線は始発から動くとのこと。ただし東海新幹線のみで、東北・上越・長野新幹線は動かない。神戸から出張で東京に来ていた先輩がネットで席を予約しようとするが、殆どが自由席で通常の指定席はなく、グリーンだけが予約可能な状態だった。背に腹は代えられないということで、グリーン指定席を予約。始発で帰るということであわただしく出て行った。

そのほかのJR在来線の運転再開の情報が入る。山手線以外は7時から運行、山手線は8時からということだった。

会社の最寄りは東京駅。駅にはたくさんの人が帰れないで一夜を過ごしているはず。近隣のオフィスビルも終夜灯りがついていたので、相当数の人たちがまだ帰宅できずに残っている。

東京国際フォーラムには4000人強の人たちが避難しているという。日比谷公園にも数千人。すぐに帰るのは難しそうだ。

帰宅に備えて、現在の会社の状況を確認する。

連絡が取れない者は数名まで絞られたようだ。それぞれの部署の責任者とこの地区の責任者との連絡手段を確認している。

放送でJRの運転再開見込みが伝えられた。すでに災害対策本部が設けられていて、それ以外の者は帰宅許可ではなく帰宅命令にて半強制的に自宅へと帰らせる方針となった。

会社の窓からJR東京駅を一望できるのが救いだった。

新幹線は6時過ぎからいち早く運転再開していた。7時を過ぎると中央線が予定通りに動き出した。東海道線のホームに人が溢れんばかりにいるのがわかるが、まだ東海道線が発車する気配はない。京浜東北線は南行き神奈川方面の電車が動き出したことを確認できた。

職場の同じ方面の者たちが固まって帰ることになった。

埼玉方面、つまり京浜東北線に乗る者は全部で5人いた。会社に備え付けてある個々人に配布された緊急時の持ち出し袋から必要な物を持って帰ろうと呼びかけた。水、懐中電灯とラジオ、手動で携帯を充電できる機械などをカバンに放り込む。

JR在来線が動き始めてから、東京駅へと向かう人々は後を絶たなかった。それほどの大人数ではなかったが、まばらな人たちが途絶えることなく東京駅へと向かっている。ボクらが東京駅に着いたのは午前9時半頃。丸の内南口の改札前にあるみどりの窓口と新幹線用の自動切符売り場に多くの人々が並んでいた。遠方から来た人がそれだけ多いということか。

改札を抜けるのはそれほど困難ではなかった。

京浜東北線と山手線が併走するホームに上がろうとしたが、階段の半ばまで人が溢れていた。順番にホームに上がり、乗り口の目印に沿ってきちんと並ぶ。

運転開始予定とされていた8時を約2時間ほど過ぎていたが、山手線はまだ動いていなかった。

最初にホームに到着した京浜東北線は南浦和行き。これには乗れなかった。車内はぎゅうぎゅう詰め、東京駅で降りる人は僅かで乗りたい人は溢れている状態だから、相当な時間並ぶことを覚悟した。

その次に来たのは東十条行き。せめて赤羽まで行ってくれればいいのにと思ったが、それにも乗ることは出来なかった。

次に来るのは大宮行き、しかも2本続けてくるらしい。

このどちらかに乗れれば全員家に帰れる。

一緒に並ぶ同僚と相談。5人全員は無理でも、女性を優先的に先に乗せようと意見が一致。無理矢理にでも押し込んで先に帰そう。

ホームにはゆっくりと電車が滑り込んでくる。凄まじい程の乗車率だからブレーキが効きづらいのだろう。乗っている人のことも考慮しているのかもしれない。

幸いにも5人全員同じ電車にのることが出来た。車内は多くの人がすし詰め状態。身動きできないのは当然だが、揺れに対して踏ん張る必要がないくらい混んでいる。

スピードはあまり出さないらしい。止まることを考えてのことだろう。

自宅の最寄り駅にたどり着くには、いつもよりも倍近くの時間を要するだろうと覚悟する。

神田でも多くの人がホームで待っていたが、降りる人が数名なので乗れる人はたかがしれていた。

秋葉原では総武線に乗りかえる人が多く、一旦は外に出なければならない。

ホームで待っていた人には申し訳ないが、それを押し退ける形で入り口付近をキープ。降りる人がいなくなったら一気に車両の中程まで乗り込んだ。

周りに同僚がいるか確認したが、一人ホームに取り残されてしまったらしい。

すでに多くの人が乗ろうとしているので引き返すことも出来ず、ここで別れることになる。先頭に並ぶ形になっていたので、次の電車にはきっと乗れるだろう。目で挨拶を送り、互いの無事の帰宅を祈る。

上野でも多くの人が乗り換える。

同僚の一人は大宮よりも先に行かねばならなかったが、高崎線に乗り換えずにこのまま京浜東北線で行けるところまで行くことにした。

田端を過ぎると降りる人の方が多くなってきたのか、混雑する車内に多少の余裕が出来たらしく、揺れに対してある程度踏ん張らないと身体を支えることが困難になってきた。片手で鞄を持ちつつ、手すりに手を伸ばして身体を支える。こういうときに力を入れて流れに逆らうと、余計に体力を消耗するだけなので、最低限の力で倒れないように身体を支える。それでもキツい。腕が千切れそうになるが、倒れないように踏ん張った。

赤羽でも多くの人が降りる。

座席に座っている人も降りるのだが、なかなか出口にたどり着くことが出来ない。「降りる人がまだいますよ!」と入り口に向かって大声で叫んだ。すでにホームにいた人たちが乗り込みつつあったが、何人かの人が呼応してくれて、無事に送り出すことができた。

川口、蕨と、降りる人が増える度に、入り口に向かって大声で降りる人がいることを伝える。狭い車内で身体を入れ替えることもままならない。

そんな中、隣に不必要に身体を踏ん張るサラリーマンの存在に気づく。

最初は目の前に子供か女性でもいるのかと思ったが、何かを守っている様子もない。

自分の体勢を支えるためにしては頑なに身体を押しつけてくるので、そいつがしていたヘッドフォンを勝手にはずし「何してんすか?」と一言。

睨まれたがこれでおとなしくなった。よしよし。

南浦和に着くと多くの人が降車する。これはいつものパターン。

だいぶ車内が空いてきた。ようやく釣り革を確保。鞄を棚に載せて一息つく。

手すりを掴んで身体を支えているときに腕力をかなり使ったらしく、握力がほとんどなかった。こりゃ明日は筋肉痛だな、いや年だから明後日か?

厚着のせいもあるが、かなり汗をかいていた。窓を少し開けて外の風を車内に取り込む。冷たい風が心地よかった。

浦和で1人、与野で1人、同僚が電車を降りていく。

ホント、お疲れ様でした。また月曜日に……

ん?

月曜日に会社に行けるのかまだわからんのにな。

大宮よりも先に行かねばならない同僚と別れの挨拶をして、ボクもさいたま新都心で降りる。すでに時計は12時を回っていた。

エスカレーターは止まっていて、しかも歩けないように封鎖されていた。エレベーターもあるが遠回りになるので階段を登る。

思った以上に体力を消耗したらしい。足が思うように上がらない。徹夜が堪えているのかな。少しだけでも寝ておけばよかったと、今更ながら反省。

改札を抜けるとまだ多くの人が帰宅できていないのか、大勢の人でごった返していた。さいたまスーパーアリーナも帰宅困難者向けに解放されていたようだから、これから帰る人も多いのだろう。

そんな人を見ながら駅のコンコースにあるベンチに座り、持ち帰った水を飲む。

メールでカミさんに駅に着いたと報告。帰り道にあるコンビニでっか買うものはないか?と訪ねておいた。

iPhoneを取り出して4sqでpost。これでTwitterの知り合いにはボクが帰宅しつつあることがわかってもらえるだろう。

しばし休憩のあと、重くなった身体に鞭を打ち、トボトボと歩き出す。

カミさんからメールの返事。多少の食料は買い出しをして確保したらしい。それでも心許ないのでやはりコンビニに寄ろうと決める。

iPhoneを見るとTwitterのリプが入っていた。やはり気づいてくれた人がいた。最後の一踏ん張りを頑張ろうと励みになる。

全員に個別に返事を返したかったが、握力がなくて思うようにいかない。申し訳なかったが、誰宛でもないpostでお礼を打った。

コンビニでもきっとカップ麺やレトルトは売り切れだろう、そう思って寄ったコンビニだったが、意外な程に商品が残っていて驚いた。客もまばら。大きなタワー型マンションの下にあるコンビニなのに。ひとまずカップヌードルを家族分だけ買った。後はタバコと肉まん。

肉まんを食べながら歩く。

水を飲む。

街の様子や行き交う人々の様子を窺うが、地震が起きる以前と何ら変わりのない日常がそこにある。

不思議な感覚だった。

それだけ実質的な被害が少なかったのだろう。

停電した様子も断水している雰囲気もない。

スーパーの前に差しかかった時だけ、そこに溢れかえる人の行列を見て、いつもと違う風景に出会った感じがした。

行きつけの床屋の前で、いつも髪を切ってくれるお兄ちゃんと会う。

「いま帰りですか?」と訪ねられたので、「帰宅困難者、ただいま帰りましたっ!」と敬礼しておどけて見せた。笑ってくれた。

家のドアを開けると、3歳の娘が出迎えてくれた。

「お父さん、遅かったよぉ〜。ユラユラ怖かったんだよ!」

ゴメンよ。でもやっと帰ってきたよ。お父さん、お仕事してて遅くなっちゃった。

少し遅めの昼飯にと、カミさんが作ってくれたオニギリを食べ、温かいコーヒーを飲んだ。

ソファーに座ったとたんに落ちた。夕方まで眠りこけた。

(おわり)

0 件のコメント:

コメントを投稿